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Strange Creators of Outer World/Introduction of Previous Works/Embodiment of Scarlet Devil/Fragment of Phantasy

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幻想のもと

Fragment of Phantasy

「紅魔郷」における重要な要素である「吸血鬼」。
いや、ゲーム的に吸血鬼ということが重要かというとそうでもないのだが……。
まあでもキャッチーなトピックには変わらないので、ここでちょっと一服どうぞ。

「紅魔郷」のボスキャラクターであり、今や妖怪として西洋代表の座をゾンビと二分するくらいメジャーなのが吸血鬼だ。文字では「血」を「吸」う「鬼」と書くわけだが、「血を吸う怪異」がいわゆる吸血鬼だけかというと、もちろんそんなわけはない。代表的なものをいくつか見てみよう。

・ラミアー(ギリシャ):子供の血を吸う、他の子供を食べる。

・エンプーサ(ギリシャ):メスカマキリの怪異。眠っている男に悪夢を見せながら血をすする。

・カーリー(インド):女神。自分の流血から分身を作る敵との戦いで、相手の血液全てを吸いつくして倒した。

・グール(アラビア):人間の死体や子供を食べる。

・キョンシー(中国):夜に動く死体。正邪の頸をねじ切り血を飲む。噛まれたり怪我を負わされた者もキョンシーになる。

・河童(日本):尻の穴から内臓を抜いたり血を吸ったりする。あと尻子玉を抜く。

キリが無いのでこの辺にしておく(なぜ河童はここまで尻にこだわるのか、という話も置いておく)。

こういう伝承を見ていくと、吸血怪物的なものが存在するための前提としては「血液」という人間の生そのものが信仰や神秘の源となっていて、その裏返しとしてそれらを求める/大切にする伝承が起こっていたようにみえる。代表的なもので言えば「生贄」を用いた儀式などがそうだ。人間やその代替として家畜の生き血を捧げ、何者かに祈り宣託を得る、というシャーマニズム的なシステムにおいて、血は重要なアイテムとして登場する。

伝承のハイブリッドとしての吸血鬼

そういった原初的な信仰と、疫病、宗教などさまざまな要因が混じり合って古代ルーマニアで育っていったのが、復活する死者としての吸血鬼の伝承だった……というのが今のところ後付けで考えられている歴史的な経緯だ。場所的な理由としては、文明の発展した地域から遠すぎず、またそれによって人の出入りが多いことが挙げられる。距離が離れていれば、発展した都市部とは異なる文化が成立し、やがてそれぞれが混ざり合う。土着の信仰は、発展した官僚的なシステムを持った新しい宗教の流入によって踏み荒らされ、摩擦が起きる。さらに人間の行き来が起こるので、菌の伝播も活発になる。今でも残る吸血鬼の特徴として言われる「吸血鬼に殺された/吸血された者も吸血鬼になる」などは疫病の流行などと無縁ではないだろう。だが、その他の特徴――たとえば永遠の若さを持つだとか、蝙蝠に変身することができるだとかいったものは、地域的・歴史的に徐々に付加されていったものなので、興味のある人は調べてみるとよいだろう。

もともとキリスト教が支配的でない地域にキリスト教が入り込んだ影響は世界各地で計り知れないほどある。それぞれの地域に根付いた神を悪魔に貶め、生活様式や道徳観を書き変えるなど、枚挙にいとまがない。そういう影響は幻想の存在たちにも当然大きく影響してくるのだ。たとえば、やたら苦手なものが多い吸血鬼だが、なぜ苦手なものが多いのか考えたことはあるだろうか。そして、そんな苦手なモノの中に、なぜ十字架があるのか考えたことはあるだろうか。「十字架が苦手」というのは短縮された表現で、実際は「信仰心を持つ者がかざす十字架が苦手」とされている。つまり信仰心が無い者が十字架を向けても、吸血鬼にはちっとも効かない、というわけだ。つまり、十字架そのものがスゴいわけではなく、その十字架を持つ人の心が云々……、という話なわけだがさて、ここで尊重されているのは果たして一体何なのか。十字架か。信仰心か。それは何への信仰なのか。興味深いところではある。

吸血鬼というブーム

かくして東ヨーロッパから広がった吸血鬼だが、ビジュアルイメージが初めから統一されていたわけではない。この21世紀に「吸血鬼」と言われて最初に頭に浮かぶビジュアルは、マントを羽織った紳士が女性の頸筋に牙を立てて生き血を啜る、というテンプレ……これは、もう若い方にはちょっと古すぎるだろうか。とりあえずその前提で話を進めるが、これがイメージとして多くの人の頭にすりこまれるに至るためのキーワードは、大きくは2つある。

・ブラム・ストーカー著「ドラキュラ」(1897年)

・映画「魔人ドラキュラ」(1931年)

「吸血鬼ってドラキュラの名前じゃないの?」くらいに「ドラキュラ=吸血鬼」が超有名になったのは、ブラムの小説が原因である。ルーマニアの伝承を下敷きに、現代(※書かれた当時の現代=19世紀末のイギリス)を舞台にした小説で、トランシルヴァニアに住むドラキュラ伯爵が、獲物を求めてイギリスにやってくるという内容だ。

ここで登場する「ドラキュラ伯爵」は「伯爵」なので、当然クラシカルな紳士スタイルの人物として描かれているわけだが、この大ヒット小説が当時台頭してきた新しい娯楽の王様「映画」として上映されさらにヒットすることで、ドラキュラ=マントの紳士というビジュアルイメージが確たるものとなっていく。小説「ドラキュラ」は映画化以前に舞台としてもロングヒットを飛ばしていたし、ブロードウェイでも成功していたが、技術の先端であるところの映画、それも無声ではなくトーキーでの映画企画として立ち上げられたことで、イメージの伝播は加速。1931年2月にニューヨークで上映され、同年の10月には日本でも公開されているのだから舞台よりも多くの人の目に触れる機会があったことだろう。そして、商業としては当然のことながら大ヒットしたのだから続編は作られるし、似たような作品も多く作られていく。ビジュアルイメージはどんどん伝わっていくのだ。

ちなみにここに挙げた「魔人ドラキュラ」以前にも吸血鬼を題材にした映画はあるのだが、どうも「ドラキュラ」を原作として映画を製作するという許諾が権利者か降りなかったため、微妙に内容を改変して「吸血鬼自体は出る映画」が作られており、それらの吸血鬼のビジュアルイメージも似ていたり違ったりと映画の中でも統一性は無かったようだ。また、「牙が生えている」というイメージを本格的に定着させたの「魔人ドラキュラ」のリメイク的な位置づけに当たる「吸血鬼ドラキュラ」(1958年)からのようだ。

産業革命がもたらす光と闇

「ドラキュラ」が吸血鬼小説の元祖ではないにせよ、19世紀初頭から徐々に出始めたジャンルだった。賢明なる読者諸兄はお気づきのことかと思うが「小説」の流行は活版印刷技術無くしてはないものだし、「映画」も言わずもがなの近代技術である。「吸血鬼モノ」の流行は産業革命なくしてありえなかったと言えるだろう。だが、それは表向き、技術的な部分だけの話だ。つまり「広めることが可能になったからといって、多くの人に拡がるのとは話が別」ということだ。社会的には科学技術の進歩が急激に起こると、しばしばその反動のようにオカルトが流行ったり影響力を持ったりすることがある。18世紀後半から19世紀にかけては、「革命」と言われるくらいさまざまな産業が発展したわけで、その19世紀にかけては、「革命」と言われるくらいさまざまな産業が発展したわけで、その19世紀の終わりごろに技術とは真反対の性質を備えた吸血鬼(しかも古い貴族!)を題材にしたストーリーが技術の助けを得て大いに流行を迎えた、という想像はちょっとぐらいは本質に引っ掛かってくれないかと思うものだが、どうだろうか。

ツェペシュ公について

最後に、もう一人の吸血鬼関連の有名人について触れて本稿を終えたい。「紅魔郷」6面のステージ曲名にも登場するヴラド・ツェペシュについてだ。15世紀、ルーマニアの南部ワラキア公国を治めた君主で、南から迫るオスマン・トルコ帝国との苛烈な戦いで知られる。特に、領内の治安維持のための串刺し刑が有名で、ブラムの小説「ドラキュラ」のモデルの一人となった。だが、ヴラド=吸血鬼というイメージは今で言うところの風評被害以外の何物でもない。まず当時、串刺しは特別に珍しい刑罰ではなかった。それはキリスト教国とイスラム教国とを問わずである。さらに、こちらが一番の原因ではあるのだが、当時ワラキアの隣国ハンガリーは「お前のところも東欧のキリスト教国として十字軍送れよ」という圧力を受けていたが、自国の政情が不安定だったり戦費を負担したくなかったりで、十字軍を送りたくなかった。そこでなんと、善戦を続けるワラキアの君主ヴラドをオスマン帝国の協力者というでっちあげの罪状で逮捕・幽閉。挙げ句の果てに「ヴラドは残虐で人を無差別に殺している」「殺した人間の血肉を用いて晩餐会を開いている」という事実無根の悪行をねつ造し、国内にばらまいたのである。この幽閉はハンガリー国王の妹とヴラドが結婚してカトリックに改宗するまで続いたようだ。

このようにして、串刺し……が残忍じゃないとは言えないような気もするが、頑張って国を守っていた君主は残虐非道な吸血鬼、というところまで反対のイメージで後世に語り注がれることになった。だが、最近はそれも風評被害であることが調べればすぐにわかってしまうので、ある意味でヴラド=吸血鬼の図式は幻想入りしたと言えるのかもしれない。