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Strange Creators of Outer World/Introduction of Previous Works/Immaterial and Missing Power/Fragment of Phantasy

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幻想のもと
Fragment of Phantasy

Fragment of Phantasy

東方Projectに散りばめられた、さまざまな幻想の欠片を覗き見る本コラム。
今号から書き手に塩田信之氏を迎え充実度が段違いになったことをご報告したい。
その第1弾は「鬼」について。まずはご一読あれ。

人を喰う恐ろしい存在とされる鬼ですが、英雄に退治されてばかりかと思えば、ずる賢い人間に騙されたりして貧乏くじを引く滑稽な役回りも多かったりします。ここでは、伝承と歴史的な背景から有名な鬼たちがどのような存在であったのかを見ていくことにしましょう。

退治される立場の鬼

古来、人間に悪さをするといわれてきた「鬼」たちは、いわゆる「昔話」でさまざまなヒーローたちに打ち滅ぼされてきました。昔話に描かれる鬼の悪行といえば、子供や女性を誘拐したり、村を襲撃して金品などを強奪していく盗賊や山賊といった「ならず者」の所業を思い浮かべやすいと思われますが、例えば疫病が流行したら「疫鬼」と呼ばれる鬼のしわざになりますし、激しい風雨で川が決壊でもしようものなら「雷さま」と呼ばれる鬼のせいということになります。だいたい日本を統べる大和朝廷が公的な歴史書である『日本書紀』に、朝廷に従わない反抗勢力(いわゆる「まつろまぬ者」)を指して「また山に邪神あり、郊外にかしましい鬼あり」としてヤマトタケルを征伐に向かわせた記録が残されているのですから、都合のよくない相手を誰彼かまわず「鬼」や「土蜘蛛」あるいは「蝦夷(エミシ)」などと呼んで悪者扱いしていました。

今でこそ、赤や青の肌色の男が腰に虎の毛皮を巻き付けた姿がイメージとして定着している鬼たちですが、昔はさまざまな姿をしていました。どちらかといえば、妖怪の類の総称として「鬼」という言葉があったことは、例えば「魂」や「魍魎」、さらには「魔」などの漢字それぞれに部首として「鬼」が入っていることからも想像できると思います。漢字の「鬼」はもちろん中国から入ってきたもので、もともとは「霊魂」あるいは「幽霊」といった概念に近い意味でした。目には見えない存在だったり、生物から無機物までさまざまなものに憑依したり化けたりするので、外見的にはどんな姿をしていてもよかったわけです。

いわゆる赤鬼や青鬼のイメージは、中国の仏教で発展し日本に伝わった「地獄」観の中で、罪深い死者をさまざまな拷問でいたぶる獄卒からきているものと思われます。さらに元を辿っていくと、仏教発祥の地インドでヤクシャやラークシャサと呼ばれていた鬼神たちがいて、仏教では彼らが仏法の教えを受けて改心し、夜叉や羅刹と呼ばれる仏法守護神になっていった伝説が下敷きになっています。お寺にある仏像として有名な、毘沙門天(多聞天)、広目天、増長天、持国天の四天王像には足元の邪鬼を踏みつけている姿をしているものも多いのですが、毘沙門天はインド神話の財宝神クベーラが仏教化した存在で、もともとヤクシャ族の王でした。そういわれてみれば、厳めしい顔つきの四天王像は角を生やして裸に腰巻だけの姿にしたら鬼と変わらないようにも思えます。

悪鬼たちが仏教に改宗すれば護法善神と呼ばれるようになるのも、大和朝廷に恭順した者が国津神と呼ばれるようになるのも、要は世知辛い世の中をうまく立ち回って生きていけるかどうかということで、鬼たちは要領の良くなかったサイドということになるのでしょう。

大江山の鬼退治

とはいえ、鬼退治の被害者となる鬼たちすべてに非がないわけではありません。「鬼退治」と聞いてまず多くの人が思い浮かべるのは昔話の「桃太郎」だと思われますが、この昔話は実話が元になっているという考え方があります。

元になったお話のひとつが、こちらも有名な鬼退治物語の「大江山の鬼退治」です。大江山は京都の北部日本海側にあるひと続きの山々のことで、古くから修験道の霊山として知られてきました。有名な「酒呑童子」退治があったとされるのは平安時代。歴史上実在した武将、源頼光(「みなもとのよりみつ」ですが名を「らいこう」と読むことも多い)が勅命を受けて、「四天王」と呼ばれる仲間たちとともに討伐したと伝わっています。当時は大江山に限らず山賊などの根城が多くあったので、そうした賊の討伐として行われたものです。この出来事は後に物語として大衆に好まれるようになり、室町時代には『大江山絵詞』という絵巻が作られ現存しています。鎌倉時代末期には『御伽草子』に収録され、同じく収録された「一寸法師」や「浦島太郎」とともに江戸期の人々に広く知られる物語となりました。

鬼退治物語として知られる源頼光たちの行動は、山伏の姿で大江山へ向かい、途中メンバーそれぞれが八幡、熊の住吉の(伝によって日吉も)神々に先勝祈願を行っています。その甲斐あってか頼光たちは、神々の化身である翁たちと出会い、鬼退治のキーアイテムとなる「神便鬼毒酒」や伝説的装備「星甲」を授けられるゲーム的展開を経て酒呑童子の下へ辿り着きます。もっとも正攻法では鬼に敵わないため、騙し討ちに近い作戦が実行されます。酒呑童子は粗暴というよりも理知的な鬼で、頼光は自らを役行者ゆかりの者と名乗り、行者のお引き合わせを喜びともに酒を飲もうと誘ってまんまと館に入り込み酔い潰れさせるというわけです。この辺りヤマトタケルのクマソ討伐を思い起こさせる展開ですが、酔っぱらった酒呑童子は酒好きが高じて「酒呑」と呼ばれていることや、もともとは越後の出身で最澄や空海に住処を追われた身の上を語る人間らしい側面が描かれています。実際、歴史上頼光に討伐された鬼たちは盗賊・山賊の類だったのでしょうし、実在したモデルとなった人物の説もいくつかあります。かくして酔いつぶれた酒呑童子は眠りこけ、頼光たちは鬼の力を奪い、人間が飲むと薬になるという酒の力を借り、眠る鬼の四肢を鎖で縛った上で首を斬り落とします。飛んだ首が頼光を食らおうとしますが、兜に重ねて身に着けていた星甲によって守られました。

渡辺綱と茨木童子

源頼光の同行者は5人。大阪辺りを管理する役人「摂津守」だった源頼光とともに勅命を受けた山陰「丹後守」平井保昌は歌人・和泉式部の再婚相手として知られ、武勇に秀でていたことから主君藤原道長の四天王のひとりとされていました。頼光の四天王は以下の4人、自身も「一条戻橋」あるいは「羅生門」の鬼を退治している渡辺綱、足柄山の「金太郎」が長じて頼光の家臣となった坂田金時、大蛇退治の伝説を持つ薄井貞光、征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫とされる卜部季武とそうそうたる顔ぶれです。

対する酒呑童子にも四天王と呼ばれる鬼たちがいます。星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子(あるいは金熊童子)などの名前が挙がっていますが、酒に酔いつぶれて酒呑童子の首が落とされた後に駆けつけてくる程度の役どころです。

ところで酒呑童子の手下には、彼に次ぐ立場と思われる茨木童子がいます。頼光四天王の渡辺綱が京都の一条戻橋で相対した、人間の若い女に化けていた鬼です。正体を現した際に綱が「髭切り」と呼ばれる太刀で片腕を斬り落としましたが、茨木童子は今度は綱の養母でもある伯母に化けて結界を張った家にまんまと入り込み取り返したとされています。同じ渡辺綱が平城京の羅城門(羅生門)で鬼と闘い腕を斬り落とすというパターンの物語もあって、因縁深い関係は酒呑童子退治の物語中でも語られます。頼光らと酒呑童子の酒盛り中、身の上話をする酒呑童子は自らが脅威と思っている相手として頼光ら6人を恐れて京都にいかないようにしていると語っています。さらに酒呑童子の首が落とされた後、頼光の前に現れた茨木童子は再び綱とがっぷり組み合い格闘を繰り広げるのですが、茨木童子もまた頼光に首を落とされて続いた因縁に終止符が打たれることになります。

羅生門の鬼は酒呑童子退治後、討ちもらした鬼が棲みついたものともされますし、時系列や酒呑童子と茨木童子の関係性などについても異なるパターンの伝が多く、はっきりとはわかりません。茨木童子については人間の女に化けていたこともあり、実は鬼女で酒呑童子の恋人(あるいは子供)とする説もあります。

伊吹山の酒呑童子

酒呑童子の物語には、大江山だけでなく滋賀と岐阜にまたがる伊吹山を鬼の棲み処とするものがあります。これは酒呑童子の出自も関わってくるのですが、伊吹山にはヤマトタケルが東征の帰路に立ち寄って山の神を討伐しようとするエピソードがあって、酒呑童子はその伊吹山の神と人間の女の間に生まれた子とする伝説が基盤にあります。幼い頃の酒呑童子は修行のため比叡山に入りますが、生来の酒好きが災いし、祭のために被っていた鬼の面が外れなくなり、やがて本当に鬼になってしまいます。最澄によって比叡山から追われることとなり、伊吹山や大江山に落ち延びるという下りは、頼光らとの酒盛りでの身の上話にも重なります。比叡山は古くは「日枝山」と呼ばれ、日吉大社があることでも知られていますから、源頼光たちが大江山へと向かう前に日吉大社に願掛けを行うパターンの伝にはひとつの根拠にもなっています。

酒呑童子を伊吹山の神の子とし、大江山で酒呑童子と呼ばれるようになるまでの物語をまとめたものを『』 伊吹童子』などと呼ぶことがありますが、この物語にもいくつものパターンがあって、人間の娘である酒呑童子の母親も伝によって異なってきます。伊吹山の神は『古事記』では巨大な白いイノシシですが、『日本書紀』では大蛇とされ、スサノオに退治されたヤマタノオロチが実は生き延びていて伊吹山で神として祀られるようになったとも言われています。

大江山の鬼に関する一連の物語は、伊吹萃香や茨木華扇、星熊勇儀の由来として見ることでよりディープに楽しむことができます。名前だけでなく性格や外見についてもネタが仕込まれているので、いろいろと裏事情を想像しながら読んでみるのも面白いのではないでしょうか。