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Cage in Lunatic Runagate/Last Chapter

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最終話 二つの望郷

Last Chapter: Two Kinds of Homesickness

いつもなら年老いた自称棋士達の社交場となっている往来に人だかりが出来ていた。  仕事の休憩に往来に出てきた兎も、対戦相手を捕まえる事が出来ずに苛立っている。

 

「何事だいこの人だかりは。喧嘩だとしたら余り穏やかじゃないねぇ」

年老いた兎は人だかりに群がっていた兎に声を掛けた。いつもの碁仲間だ。

「喧嘩? 違う違うそんなんじゃないよ。何でも見せたい物があるって話だ」

「大道芸かい? 若えもんがあんまり騒がしくしてると、綿月の姐さんにしょっ引かれても知らねえぞ?」

綿月と言えば、千年近くも月の都の警備を任されている由緒正しい家である。元々戦闘に向かない月の兎達を訓練し、月の都を守ってきた者達だ。

特に妹の綿月依姫は、神々の力をその身に宿し敵に合わせて柔軟に対応できる力を持っている。

基本的には外敵から都を守る事を生業としているが、素行の悪い兎を連れて行き、兵士として教育する事もやっている。兎の殆どが兵士になる事を嫌がっており、兎達にとって綿月の屋敷はさながら再教育の場といったイメージであった。

「いやそれが、綿月様ご本人が見せたい物があるってさ」

「何だって? 綿月様が?」

人だかりをかき分け、好奇の目の向けられた対象を見た。兎ではない人間が何やら不思議な踊りを踊っている。その脇には綿月依姫と豊姫が立っていた。

「何でも、あそこで踊っているのが月に攻めてきた地上の人間だそうだ。謀反の噂の真犯人だって話だよ」

 

謀反の噂とは、月の都の転覆を謀る者が居るという不穏な噂であった。

誰が流した噂なのか判らないが、噂が出始めた頃から身の回りで不思議な事が続いていた。

まず、表の月に刺さっていた人間の旗が抜かれて、跡形もなく消えてしまった。これは、地上から何者かが侵入してやった事を表している。

そして、月に住む神々達が何者かに喚ばれ、使役されているとの事。これが出来るのは依姫くらいである。

それ以外にも綿月家が疑われるのには理由があった。

 

綿月姉妹の役目は元々別の人間が行っていた。その者とは月の賢者とも呼ばれた八意様である。

八意様はありとあらゆる薬を作る事が出来、信頼も厚かった。その八意様が月の都を裏切り、地上にお隠れになってしまったのである。

空席となった月の使者の座に急遽選ばれたのは、弟子である綿月姉妹であった。

その綿月姉妹に命じられた最初の使命とは、八意様の捜索と連れ戻すことである。しかし、千年近く経った今もその使命は果たされていない。その理由は、表向きは八意様の罪が晴れていない事(月の都にとって地上は監獄である為、罪人は罪が晴れるまで地上に幽閉されるのである。つまり八意様は月に戻ってくる資格がまだ無いと見なしている)だが、本当のところは綿月姉妹が未だ八意様の事を信頼していて、自分の手で捕らえたくないのである。

その地上の罪人との繋がりが原因なのか、綿月姉妹は余り月の都では信頼されていない。

地上から何者かが侵入してきた痕跡、それと不可解な神々の召還。こういった出来事で綿月姉妹が疑われるのは当然であった。

 

「——さあ、このぐらいで良いでしょう。貴方が神々を召還していた事が十分伝わったでしょうし」

依姫は群がる兎達の前で不思議な踊りを見せている霊夢に向かって言った。

霊夢は「こんなんで良いの?」と言うと、何故か兎達から拍手がわき起こる。さらに小銭が投げ込まれた。まるで正月のお賽銭のようだ。霊夢は微妙な面持ちで兎達に手を振る。

「他にも廻る所が沢山ありますからね」

「えー、他の場所でもこんな事をしないといけないの?」

「貴方は私に文句を言える立場じゃありません」

「というか何か意味あるの? この踊り」

「貴方が神様を呼び出していたという事を判らせられればそれで良いのです。月の都では殺生は余り好まれないから貴方を気軽に罰する訳に行かないのです。それが終わったら地上に帰って貰いますから」

「ふーん。月の都じゃ踊って神を呼ぶのねー」

霊夢は投げ込まれた小銭を拾いながら言った。気が付くと人だかりはまばらになっていた。依姫は霊夢に「お金なんて拾わなくても良いの」とたしなめ、手を引っ張った。

「ああもう、何で私だけ月の都に残ってなきゃいけないのよ。みんなはお咎め無しで帰っていったのに、私だけ損をしている気がする」

「お咎め無し? そうではありませんよ。地上に落ちる事、それが最大の罰なのですから」

「私からみれば帰るだけなのに」

霊夢は口を尖らせて言った。

 

——大きな東洋の屋敷の円い窓から桃の木が見えている。

窓にはガラスのような物ははめ込まれていない。開けっ放しの状態なのだが、虫が入ってきたりはしない。そもそも虫のような蒙昧な生き物は月の都には存在しないのか。それに気温も常に適温を保っている。

研究者は自分の研究に没頭し、存在しうる理想について論じ合う事も出来る。食に不自由することなく、死を恐れることなく永遠に研究が出来るのだ。

月の都はなんて快適な所なのだろう。

ここに住んでいたら、地上が監獄に見えるのも当然かも知れない。

 

アンティークなテーブルに上品な料理が並んでいた。

テーブルには霊夢と、綿月姉妹が座っている。

霊夢は見たこともないような見事な料理を前にして、機嫌が良くなっているようだ。

「さ、今日はお疲れ様」

豊姫が労わりの言葉をかけた。霊夢は早速料理に手を付ける。味は見た目ほどではないようだ。

「でさぁ、私はいつまで月の都に残っていればいいの?」

「そうですねぇ。依姫の疑いが完全に晴れるまではいて貰わないと・・・・・・ま、その間のんびりして」

「何か調子狂うわねぇ。月の都ってもっと都会で忙しいところかと思ってたわ。もぐもぐ」

「口に物を入れたまま喋らない。これだから地上の人間は」

依姫が厳しく叱ると、霊夢は恥ずかしそうに黙って食べ物を飲み込んだ。

「で、貴方に残って貰ったのにはもう一つ理由があるの」

「あん?」

よく見ると依姫は食事に手を付けていない。霊夢はそれを見て一瞬警戒したが、豊姫は同じ物を食べていたので安心した。

「貴方が何故住吉三神を使役して月を目指すようになったのか。そのいきさつを教えて欲しい」

「ん? んー、そう言えば何でこんな事になっちゃったんだっけ?」

霊夢は箸を置いて月に至るまでの出来事を思い返した。

まず、月に行きたがっていたのはレミリアである。始まりは竹林に住んでいた月の民に出会った事だった。そこで月にある都に興味を持ち、自分でも月に行こうと考えたのだ。それから一年以上も月を目指すロケットを作成していたらしい。

霊夢はそれについて特に興味はなかった。どうせ月の都なんて行く事は出来っこないと思っていたからだ。だが、もし行けるのであれば話は別である。やはり一目見てみたいとも思っていた。

レミリアから何かと協力を求められる事も多かった。レミリアというか咲夜からだが、ロケットの材料となる物を求められた。

「ロケットの材料って訳の判らない物ばかりでねぇ。何か(かめ)の乾いたものとか持って踊ってたりさぁ。あんなんで月に行けるとか思わないでしょ? 吸血鬼も五百年生きたっていっても頭は悪いんだから」

霊夢は調子に乗ってきた様子で二人に同意を求めた。

「地上と月を行き来するには様々な方法があります。まず、空間を移動して行き来する方法。貴方達みたいな地上の人間が乗るロケットや、月の兎が使う月の羽衣がこれに当たります。」

依姫の言葉が求めていた返答と異なり、霊夢は言葉に窮した。

「月の民はそれとは異なり、地上と月の間の距離を縮めて扉を開けるように移動します。三途の川を隔てたこの世とあの世の様に、常に隣り合わせなのですよ」

「あの世……それはそれで遠いような気もするけど。でも死ねば一発だからやっぱり近いのかな」

「月の民にとっては地上は監獄のような所。月の都の一部と考えていますから。行き来も意外と簡単なのですよ」

「ふーん。でもさ、私達が居る幻想郷はちっちゃいけど地上はもっと何倍も大きいんだってよ? 月の都なんて幻想郷より小さい位じゃない。それを一部なんて傲慢じゃないの?」

「大きさなんて問題の内には入りません。月の都の方が優れている、それだけで十分です。それで話を戻しますが、貴方達のロケットは空間を移動する方法と距離を縮める方法の両方を使っていましたね」

そういえば、霊夢は月までの距離が想像してたより短く感じていた事を思い出した。

「それがどうしたっていうの?」

「そんなロケット、地上の人間が作れるとは思いません。誰かの入れ知恵があったんじゃないかしら?」

 

——ロケットの完成には幾つかの偶然があったと霊夢は言う。

まず、暫くなりを潜めていた吸血鬼のロケット計画が急激に動き出したこと。

幽霊である妖夢がロケットの原動力を教えてくれたこと。

そして、何故か霊夢が神々の力を身に付けられるように修行していたこと。

これらが並列して同時期に起こったことで、吸血鬼のロケットは完成した。

これらは全て本当に偶然だったのだろうか?

いや、偶然ではなかった事は誰の目にも明白であるだろう。全てある妖怪が裏で動いていた筈だ。

だとすると、月の都で流れた謀反の噂も、月の旗が抜かれたのも偶然ではないのだろう。

 

「入れ知恵……? うーん、住吉三神の事を思いついたのは私だしー」

「では、その住吉三神をどうやって呼び出したのですか?」

「それは、たまたま神様の力を降ろす稽古を付けていて——あれ? なんでそんな稽古をしていたんだっけ?」

依姫は地上の人間の曖昧模糊とした記憶に軽い苛立ちを覚えた。

「誰かに稽古を付けて貰ったとかじゃないですか?」

「あ、ああ、そうだったわ。確かに紫が私に稽古を付けてたのよね。何故かは知らないけど」

「紫、八雲紫ね」豊姫は会話に参加してきた。その名前を聞いて何か納得したようだ。

「知ってるの? あの幻想郷一駄目な妖怪を」

「知ってるも何も、月の都に住んでいて知らない者はいないわ。地上にいて自由に月の都と行き来出来る厄介な妖怪ですから」

「へぇ、有名なんだ。って自由に月の都と行き来出来るだって?」

「ええ、それで昔に妖怪を引き連れ乗り込んできた事もありました。勿論、みんなコテンパンにしましたけどね」

「いやさあ、じゃあロケットなんか作らなくても月の都に行けたんじゃん。何で紫は手伝ってくれなかったのかなぁ」

豊姫は大きな甕から何やら魔法の液体を掬い、グラスについだ。それを出された霊夢は、一瞬警戒した。

「これは永遠の時間をかけて漬けたお酒です。地上では味わう事が出来ないお酒ですよ」

「毒とか入ってないよね」

「月では殺生は好まれないですから」そう言って、豊姫は霊夢に差し出したお酒を自分で飲み、代わりに自分のお酒を差し出した。

それを見て霊夢は警戒しつつも、お酒を手に取る。洗練され過ぎた香りは、地上で飲むと何か寂しく感じそうであった。

「貴方達は、紫にうまく操られていただけですよ」

依姫はそういった。

「どういう事?」

「判らなければ別に良いのです。貴方達に悪気がない事が判りましたので……」

「さ、積もる話はその位にして今日は飲みましょう。明日もありますから」

 

丸窓の外はすっかり暗くなっていた。

もう桃の木を視認することは出来ない。しかし、そこには見えてはいけない存在が見えていた。

月の都では決して存在せず、地上の人間なら多くの人が見たことのある存在。

夜の神社、柳の下、かつては人が集った廃校跡、廃病院……。慣れた人なら昼間でも街中や自宅などで、そこかしこで見ることが出来るだろう。

亡霊である。

窓から覗く亡霊の姿に、綿月姉妹は気付く事が無かった。月の都には亡霊など存在しないからだろうか。

「幽々子様。何でここに霊夢がいるのでしょう?」

妖夢は小声で話した。幽々子も何か考えているようだ。

窓の向こうに見える霊夢は、すっかり酔っ払い豊姫と依姫に自分の武勇伝を語っている。

依姫は地上の話に、興味があるようで、食い入るように聞き入っていた。自分の師匠の話が出て来ることを期待しているのかも知れない。

「妖夢。羨ましいわね」

「え? 何の事ですか?」

「うちでもあのぐらい豪勢な料理が出ればいいのに。毎日」

「いや、あんなには食べきれないです。それより霊夢の事ですが、何故この屋敷にいるのでしょう?」

「遊びに来たんじゃないかしら?」

「まぁ、吸血鬼のロケットで来た事は知ってますが、一緒に乗っていた他の人たちはどうなったのかとかそういう意味でして」

「私もずっと妖夢と一緒だったのに、そんな事判る筈が無いわ」

「まあそうですが……。もしかして他の人達は捕まったのでしょうか」

「どうみても霊夢が捕まった様に見えるけど」

「捕まったというか、接待されているようにも見えるんですけどねぇ」

 

月の都に亡霊の姿など、誰が想像しただろう。

だが、秘密裏に行動するのにこれ程便利な組み合わせもなかった。

亡霊は元々浄土に住む者である。つまりは生死に関わる穢れが少なく、その結果そこに居たという痕跡を残さずに行動出来たのだ。

その事を知っている者は余りいない。かつて妖怪が月に攻め入った頃、偶然気付いた妖怪が居たくらいだ。

その穢れの少ない亡霊が、ここの屋敷に居る事も偶然なのであろうか?

いやこれも偶然ではなかった事は誰の目にも明白だ。ある妖怪——八雲紫が導いていたのである。

無事月の都に潜入した亡霊はどういう行動を取ったのか。

それが紫の計画の総仕上げとなるのだが、はたして。

 

——幻想郷の境界に存在する神社。

紅く染まった林は、彩度が失われ暗くなり、次第に白く染められている。その光景が白粉婆が白粉を塗りたくる行為に似ていたので、いつの間に雪白粉と呼ばれていた。

博麗神社は、長い間掃かれる事の無かった落ち葉の絨毯の上に、雪白粉でうっすらと白く化粧されていた。

住んでいる者が居なくなるだけで建物は一気に寂れるものである。こうして廃墟は自然に帰っていくのだろう。

そんな風化を拒むのか、落ち葉を踏み、僅かに乗っていただけの白粉を蹴散らす者が居た。

「今日も来てないみたいだな」

その者は冷たくなった賽銭箱の上に腰掛けた。

「何で月の都の奴らは霊夢だけ地上に帰さなかったのか。今頃拷問でも受けてるのかも知れん」

暫く誰も居ない境内を眺めていたが、流石に退屈だと思ったのかその者は神社を後にした。

 

黒い魔法使いの次は悪魔のメイド、風の天狗と、持ち回りで神社の留守を預かったかの様に誰かがやってくるが、肝心な主は戻ってこない。

神社が留守の間に月に向かった吸血鬼達の興味は、既に別の方向を向いていた。月で見た海が忘れられず幻想郷にも海を作ると言い出したのだ。

海とは塩化ナトリウムなどの塩分が溶け込んだ膨大な量の水を湛えた、言わば大きな湖である。地表の七割を覆う海水。そんな物をどうやって作るというのだろうか。幻想郷で岩塩が見つかった形跡はない。そんなに大量の塩なんていくら人間の血液を集めたって……いや、そんな塩分の問題ではないな。

幻想郷で再現したい海は地球を形成した海でも、生物の母である海でもない。一人の妖怪の目に見えた青い景色。魚もバクテリアも何も棲んでいない静かな海なのだ。海水である必要すら無い。

 

「そこの本をどかしてもう少し広くできない?」

レミリア・スカーレットは自分の屋敷の地下に在る図書館に海を作り出そうとしていた。

「もう、本を積む場所無いわ」図書館の主、パチュリー・ノーレッジは呆れた様子でそう言った。

「使ってない部屋に移動させておいてよ」

「えー。また分類し直さないといけないじゃん」

図書館の本は片付けられ、床には大量の砂が運び入れられていた。

海といってもなんて事は無い。ただの室内プールである。これを期間限定で作り出そうというのだ。

冬だというのに、何故水遊びをするスペースを作ろうとしているのだろうか。

それは、吸血鬼なりのお礼のつもりらしい。彼女の希望通り月まで行く事が出来たのは、巫女の力のお陰である。本人が戻ってくるまでに海を作り、月から戻ってきたら誘おうと思っているのだ。

幻想郷にはない海。それを用意する事で人間は喜んでくれる、そう考えたのだ。

彼女が巫女が戻ってきた事を聞いたのは、それから数日後の事だった。

 

「——海に行く格好ってこんなのかな」

約一ヶ月ぶりに月から生還した博麗霊夢は、吸血鬼から誘われて海に向かう準備をしていた。

「海ったって紅魔館の地下だぜ? ただの水遊びだと思うが」

霊夢の問いかけに魔理沙は答える。いつものやりとりだ。誰頭人はいても主だけが居なかった神社は、すっかり廃墟のようになっていたが、主が戻ってきただけですぐに日常を取り戻した。やはり神社には彼女が必要なのだ。

「そもそもこんな寒いのに水遊びってねぇ。あーあ、月の都は暖かかったなぁ。まさかこんなに神社が冷えるなんて……」

「人が住んでいないと建物は一気に冷えるらしいな。何だろう、何か人間が建物を暖める力を持っているのか」

「ふん。誰も居ない建物には幽霊が住み着くから冷えるのよ。あーあ、掃除もしないといけないし、すぐに正月の準備もしないと」と言いながらも霊夢は水遊びの準備を続ける。何だかんだ言ってまだ体が日常に馴染んでいないようだ。

「ところであいつら、月旅行を実現できた癖に海は作るんだな。地上の海の在る所まで何とか行く方法を考えたりしないのかねぇ」

「それはねぇ、海は、月より遠いから」

 

海は月より遠い。そんな事あるのだろうか。

地上に住む我々は、種子島宇宙センターだってケネディ宇宙センターだって海の上に浮かぶようにあるぞ、と突っ込んでいる所だろう。

だが地上の幻想郷には海はない。月まで行っても幻想郷の結界を越えようとしなかった妖怪に、自ら外に行こうなど考えつく筈もない。海が存在しないと言われているのなら作るしかない。幻想郷の妖怪達はそう考えるのだ。

しかし流石に海を作るのに図書館は小さすぎた。

地下の図書館は水浸しで、申し訳程度に置かれたシダ植物、カラフルなパラソル。真夏の太陽をイメージしたというのなら記憶力が足りなすぎるランプの灯り。そもそも、吸血鬼に太陽に似たものを作らせるのは無理があったが、それにしても暗くて寒い。

吸血鬼はパラソルの下で日光浴をしているフリをしている。お友達の魔女はいつも通り本を読んでいた。

「だから、今は冬だというのに水遊びはおかしいって!」

霊夢が海から上がってきた。非常に寒そうである。どうやら水の温度は余り人に優しくないようだ。

「——お嬢様。何か来客の様ですが」

レミリアの近くにいたメイドがそういった。

レミリアは面倒くさそうに首を振って「無視して良いよ」と言ったその時だった。空間が切れ、冷えた冬の海に生温かい風が吹き込んできたのは!

 

——人工的な砂浜の上に上品なシートが敷かれた。派手なパラソルと水着姿だけが浮いていた。

空間の隙間から現われたのは幻想郷の妖怪、八雲紫とお酒だった。

紫の用件は宴会のお誘いだった。この妖怪から宴会の誘いがある時は、まず何かを企んでいると思って間違いない。

しかし、いつもながらの強引な登場の仕方に有無を言わせずに宴会が始まることになった。

 

八雲紫は、自分の式神である藍と、友人である西行寺幽々子、その従者の魂魄妖夢を連れてきた。地下の砂浜は突如として大宴会の場となった。

「へぇー。変わったお酒だねぇ」レミリアが純粋に驚いている。

それを聞いて紫は「失礼ね。毒は入っていないわよ」と、とんちんかんな返答をしたが、霊夢と魔理沙は毒が入っているのか疑い、メイドが呑んだのを確認してから口を付ける事にした。

「あれ? この味は何処かで……」霊夢は少し引っかかる所があったが、それが何なのか思い出せない。何故か幽々子が霊夢を見ている。

「何か純粋なお酒だな。材料が全く想像つかないというか……こんなもん何処で作っているんだ?」魔理沙が質問する。紫は再び「毒は入ってないわ」と答えた。

 

実は紫が持ってきたお酒に秘密がある。そのお酒は月の都で作られたお酒だったのだ。

亡霊には生死が無い。その事が、穢れの無い月の都と相性が良かった。幽々子は月の都にひと月ほど滞在し、誰にも怪しまれる事無く行動していたのだ。

そして堂々とお酒を盗み出すと、次の満月の時に紫に再び月面と地上の通路を開けて貰い、地上に降りてきたのだ。

幽々子がお酒を盗み出した理由はただ一つ。

月の民に喧嘩を売らずに、一度は惨敗した綿月姉妹に復讐をする為であった。

千年以上も昔に月に攻め入って惨敗したのは紫なのだが、紫はそれ以降目を付けられていて目立ちすぎてしまう。

だから、吸血鬼の襲撃を囮と見せかけて、更に紫自らが囮となる二十囮作戦に出たのだ。紫さえ地上に封じてしまえば、月と地上を行き来出来る力を持つ者は居ない。これ以上に綿月姉妹を油断させる方法は無いだろう。

しかしながらお酒を盗む事、それが、紫が考えた第二次月面戦争の正体なのだろうか?

 

「月面に攻め入った時の話でも聞こうかと」

紫はそう吸血鬼に言う。

「そんな昔の事、忘れたねぇ。あんたは千年も昔の事を根に持っているようだけど、私は未来に生きるからね」

「あら、私が根に持っている? そんな事、誰が言ったのかしら」紫はにやりと笑う。

「あれ? 半年前に今年の冬に攻め入るとか言ってなかったっけ?」

「そんな昔の事、忘れました」

レミリアはクスリと笑うと、月へ行った時の事を話し始めた。

ロケットの仕組みは殆ど理解不能な説明であったが、空中での武勇伝や月の海の色、綿月依姫との闘いに敗れた事を面白おかしく話した。

驚く事にレミりは負けた事に対して特に悔しいとも思っていないようだ。最初から勝てると思っていなかったのかも知れない。何せ、紫が妖怪を総動員しても全く勝ち目がなかった事を知っていたのだから。

それなのに何故ロケットまで造って月に向かったのだろうか。

紫が月に行って戦ったのはレミリアが生まれるずっと昔である。レミリアはその事が羨ましかったのかも知れない。

勿論、永遠亭の面子に出会った事も大きな要因だろう。そこで現実に存在する月の都の話を聞く事となった。

レミリアにとっての夢のフロンティア、それが月の都だったのだ。

 

「そうそう、今日は他にも誘ってある人が居るのよ」

紫がその言葉を放つと同時に、海と化した図書館に妖精メイドが入ってきた。その場にいたみんなに僅かに緊張が走った。

「何やら宴会に呼ばれて来たという方が来てますが……」

レミリアが頷くと、まもなくして二人が入ってきた。紅魔館には珍しい月の民の二人、八意永琳と蓬莱山輝夜だった。

「え? 宴会って聞いて来たのに、温水プール……?」

「海よ」とレミリアが答えたと同時に霊夢が「冷水プール」と言った。

薄暗い地下にある砂浜、水、派手なパラソルにシダ植物、そして一部は水着姿で呑んでいる人間と妖怪。この光景に戸惑わない者など居ないだろう。

紫は行儀良く、「お待ちしておりました」と頭を下げると、永琳は瞬時に理解し豪華なシートの上に正座した。

 

永琳には全て判っているつもりだった。

ある妖怪は月の都に不穏な噂を流す為に巫女を利用した。

巫女はその妖怪に言われるがまま神様を呼び出し使役した。それが許されるのは月の都にいる綿月依姫だけであった。それによって綿月姉妹は疑われ、その師匠である永琳も疑われた。これもその妖怪が仕組んだ事だ。

巫女が呼び出した住吉三神の力で、三段ロケットが完成するなど誰が想像できただろうか。

確かに住吉三神は航海の神様で筒である。まさにアメリカが最初に月まで到達したロケット、サターンVの神様であった。

永琳が初め吸血鬼のロケットを見たとき、外の世界のロケットの本を見て吸血鬼が住吉三神に気付く訳が無いと思っていた。

そんな事に気付ける者は、外の世界にも幻想郷にも月の都にも明るい者である必要がある。その時点で誰が裏から操っているのか永琳には明白であった。

巫女に神様を扱えるように稽古した人物がその人物像と一致した為、永琳は確信していた。黒幕は八雲紫であると。

 

たまたま月から兎が逃げてきたのでその兎を利用し、綿月姉妹に手紙を送った。もしその月の兎が居なければ、再び月を偽者と入れ替え、主犯だけを月に到達させないつもりでいた。ただ、それはまた幻想郷に不安をもたらす危険な方法ではあったが……。

だが永琳にも不安要素があった。その黒幕の目的がいまいち不明だったのである。そこまで手の込んだ手法で月に潜入したとしても恐らく何も出来ないであろう。それだけに不気味であった。

そしてその黒幕が目の前に居る。紫は永琳を酒の席に呼ぶという挑発をしてきたのだ。

 

「今日はどういう風の吹き回しかしら?」

永琳は辺りを眺めた。一ヶ月前までここは幻想郷のケープカナベラルであったが、今は差し詰め図書館の伊豆と言ったところか。

「普段の労をねぎらいお酒でも、と思いまして」紫は不気味にお酒を差し出す。

永琳の頭の回転は速い。だが回転の速さは時として弱点ともなる。永琳は理解できない物に対してわざとらしい余裕を見せてしまう。動揺を見せたくないのだ。

しかし賢い者が考えのない余裕を見せた時、その時が一番の弱点である。それは賢い者ならみんな知っている事だ。

「あら、有難う」と言ってお酒を受け取った。

「失礼ね。毒なんて入ってないわ」これはどうやら紫のギャグらしい。

「? 多少の毒は薬ですわ」

そういって、永琳はお酒を呑んだ。

そして彼女は固まった。

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隣では酔っ払った霊夢と輝夜が何やら話をしている。

「月の都って、思ったより原始的ね。建物の構造とか着ている物とかさぁ」

輝夜は笑った。

「そう思うでしょう? だから地上の人間はいつまでも下賤なのよ」

「どういうこと?」

「気温は一定で腐ることのない木の家に住み、自然に恵まれ、一定の仕事をして静かに将棋を指す……、遠い未来、もし人間の技術が進歩したらそういう生活を望むんじゃなくて?」

霊夢はお酒を呑む。

「もっと豪華で派手な暮らしを望むと思う」

「その考えは人間が死ぬうちだけね。これから寿命は確実に延びるわ。その時はどう考えるのでしょう?」

「寿命を減らす技術が発達するんじゃない? 心が腐っても生き続ける事の無いように」

その答えに輝夜は驚き、生死が日常の幻想郷は、穢れ無き月の都とは違う事を実感した。

 

魔理沙はレミリアと話していた。

「いやぁ、もう月に行くのは懲り懲りだぜ」

「なんで?」レミリアは首を傾げた。

「だってさあ、帰って来られたから良いけど、あのロケット、片道ロケットじゃないか。あんなんただのミサイルだぜ?」

「あれは、住吉三神を使ったからだめだったんだよね。行く間に二神切り離しちゃってさ。六神くらい居なきゃ帰り分の神様が足りなかった」レミリアが人差し指を上に向けてくるくる回した。どうやら六段分のロケットを表現したらしい。

「お前は妖怪だから良いけどさ、こっちは生身の人間だぜ?もっと計算してから飛ばしてくれよな大体、お前くらい頑丈なら、大きなミサイルに縛り付けて飛ばせば辿り着いたんじゃないのか?」

「ふん。あの程度ならロケットも何も無くても飛んでいけば辿り着きそうだったね」レミリアは両手を広げて天井を見た。

「その前にお前さんなら日光に当たって死ぬぜ」

魔理沙は笑ってお酒を呑んだ。正直、月旅行はもう懲り懲りだと思った。

 

——永琳は再びお酒を呑んだ。

間違いない。このお酒はただの労をねぎらう為に用意されたお酒ではない。くだを巻いたサラリーマンが、誰も理解できない言葉を吐きながら呑む安い焼酎なんかではない。

月の都で千年以上もかけて熟成した超超古酒である。そう、永琳が月の都に居た頃から寝かせていたお酒なのだ。

「こ、このお酒は……?」永琳は明らかに動揺した。考えのない余裕を見せた瞬間、つまり弱点を狙われてしまったからだ。

永琳がこのお酒の味を忘れる事はない。穢れの多い地上では味が変わってしまい作り出せない純粋さ、そして何年も寝かせたであろう奥深さ。

「貴方も故郷を離れて千何百年か。そろそろ望郷の念に駆られる頃だろうと思いまして、月の都をイメージしたお酒の席を用意致しました」

紫はにやりと笑った。

その笑顔は永琳の心の奥深くに刻まれ、忘れる事の出来ない不気味さをもたらした。死ぬ事のない者へ与える、生きる事を意味する悩み。正体の判らない者への恐怖。

それが八雲紫の考えた第二次月面戦争の正体だった。



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