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Strange Articles of the Outer World/ZUN long interview

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Strange Articles of the Outer World/ZUN long interview

【連載】ZUN氏5万字ロングインタビュー!聞き手・ひろゆき

[Series] ZUN's 50,000-word-long interview! Interviewer: Hiroyuki

ひろゆきさんが来ない

Hiroyuki-san isn't here


Part 1

あれ?大学入るまでゲーム以外のことほとんどしてないのでは?東方Project作者ZUNさんの半生を聞く(聞き手のひろゆきさんは2時間遅刻しました)

Huh? You didn't do much other than games until you got to university? Asking Touhou Project's creator ZUN about his early life (The interviewer Hiroyuki was 2 hours late)

 ついにスタートした「東方我楽多叢誌」。その最初の企画として、「東方Project」(以下、「東方」)の生みの親であるZUN氏のロングインタビューを、全10回に渡ってお届けします。

 1996年に誕生し、2002年からはWindows用の同人ゲームとして展開されている「東方Project」。シューティングゲームを中心としたそのゲームの大半は、同人サークル「上海アリス幻樂団」を主宰しているZUN氏が、プログラム、ストーリー、イラスト、音楽に至るまで、そのすべてをたった1人で作り上げています。

 さらに現在では、ファンの二次創作による同人誌、同人ゲーム、アレンジ楽曲など、さまざまな形で「東方」の世界が拡大しており、その領域は、PlayStation 4やNintendo Switchといったコンシューマゲーム機、スマートフォンゲームにまで広がっています。

 今回のロングインタビューは、「東方」をイチから生み出したZUN氏自身の半生と、「東方Project」がこれまで歩んできた道のりを振り返ってもらう企画です。

 「東方」のキャラクターや音楽が気になっているけれど、そもそも「東方」とはどういうものなのかよくわからないという人でも、これを読めば「東方」の全体像と、その作者のZUN氏について知ることができる内容を目指して企画されました。

 この企画の聞き手には、匿名掲示板「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」の元管理人として知られる、ひろゆき(西村博之)氏にお願いしました。ひろゆき氏はZUN氏とよく酒を酌み交わしている友人なのですが、じつはひろゆき氏は「東方」について、あまりよく知らないとのこと。そのぶん、「東方」に詳しくない人でもわかりやすい視点から、「東方」とZUN氏の表と裏を、あれやこれやと引き出してくれるはずです。

 ……ところが取材の開始時刻になっても、ひろゆき氏が会場に現れないという緊急事態が発生! 対談相手が不在という異例の状況で、ZUN氏への取材がスタートしたのですが、いったいこの企画はどうなるのでしょうか……!?

ひろゆき氏不在で対談(?)がスタート

The dialogue (?) starts without Hiroyuki

――

今回はZUNさんとひろゆきさんの対談だったのですが……。やはりというかなんというか、ひろゆきさんはまだ来ていないですね(苦笑)。

This was supposed to be a talk between ZUN and Hiroyuki...well, should I say as expected of him, Hiroyuki isn't here yet (dry laugh).

ZUN

 ちょうど今、起きたぐらいの感じですかね? 

He probably just got up around this time?

――

こちらに向かってはいるようなので、時間もないので先に始めましょう。ZUNさんといえば、まずは乾杯【※】からですね。こちらはお茶で失礼しますが、ZUNさんのためにいろんな種類のビールをご用意しましたので。

Sounds like he's making his way over. Since there's no time to wait for him, let's start. When we're talking about ZUN, we gotta begin with cheers. I'll have to settle with tea, but I've brought a variety of beer for ZUN.

ZUNさんといえば、まずは乾杯
ZUN氏はインタビューやトークイベント、インターネットの生配信など、人前で話す時はほぼ必ず、お酒を飲みながら語るスタイルになっている。

When we're talking about ZUN, we gotta begin with cheers:
At interviews, talk shows, or livestreams, ZUN is always drinking while he talks. It's become part of his character.

Everyone

かんぱ~い!

Cheers!

ゲーム漬けの少年時代

――

まずは、ZUNさんの生い立ちからお聞きしていこうと思います。小さい頃は、どんなお子さんだったのですか?

ZUN

僕は長野の白馬村で生まれまして。小さい頃は、ゲームと虫が大好きな子どもでしたね。

――

ゲームは何歳ぐらいからお好きだったんですか? 

ZUN

保育園の頃からです。1982~83年ぐらい。

――

ということは、ファミコンが発売される直前の時期ですね。

ZUN

ファミコンよりも前に、“ゲーム&ウォッチ(電子ゲーム)【※】”で遊んでいました。それと、家が喫茶店だったので、アーケードのテーブル筐体があったんですよ。あとは、白馬村にはスキー場がたくさんあるので、そのレストハウスにもアーケードゲームがいっぱい置いてありましたし。

ゲーム&ウォッチ(電子ゲーム)
 ファミコンが普及する以前の1970年代後半から80年代前半には、本体に内蔵された1種類のゲームをLEDや液晶画面で遊ぶ、「電子ゲーム」と呼ばれる携帯型のオモチャが流行していた。なかでも、任天堂が1980年から発売を開始した「ゲーム&ウォッチ」は、ポケットサイズの本体で熱中度の高いゲームを楽しめるため、大ヒットを記録。多数のバリエーションが発売された。

――

当時遊んでいたゲームのなかで、心に残っているタイトルは? 

ZUN

ちょっと後になりますけど、アーケードの『ソンソン』【※1】が好きでした。『ソンソン』は曲が良かったので。

 ゲーム&ウォッチだと、滝に蛇が落ちてくるのを蹴ったりして、下で水浴びしている人を守るゲームがあったんです(※編注:エポック社の『キングコング ジャングル編』【※2】だと思われる)。電池のフタがすぐなくなっちゃうので、ボタン電池を指で押さえながら遊んでいました。指が離れると消えちゃうんですよ(笑)。

※1

『ソンソン』
 1984年にカプコンがアーケードで発表したシューティングゲーム。『西遊記』の世界がモチーフとなっており、孫悟空の孫のソンソン(プレイヤー1)とブタのトントン(プレイヤー2)が、次々と出現する敵を倒しながらテンジクを目指して進んでいく。

※2

『キングコング ジャングル編』
1982年にエポック社から発売されたLCD(液晶)ゲーム。キングコングを操作して、ジャングルの滝で水浴びする女性を、ヘビやプテラノドン、流木の危険から守る。ちなみに姉妹ゲームとして『キングコング ニューヨーク編』も存在する

――

そんなふうにゲームを遊ぶ一方で、虫のほうは山の中に入って捕まえたりしていたのですか? 

ZUN

田舎なので山に入らなくても、すぐそのへんにいましたね(笑)。

――

ゲームと虫以外に、お好きだったものはありますか? アニメとか、マンガとか。

Did you like anything other than video games and bugs? Like anime or manga.

ZUN

テレビもあんまり見なかったし、マンガもそんなに読んでいたわけでもないし。家が喫茶店だったから、マンガはいっぱいあったんですけどね。スポーツもあんまり好きじゃなくて、とにかくゲームをずっと遊んでいました。

I didn't watch much television or read a lot of manga. Even though our family ran a kissaten and we had a lot of manga. I didn't really like sports either, so I played video games all the time.

――

中学生になると、自意識が目覚めてくると思いますが、その頃に好きになったものは? 

ZUN

中学の頃は、むしろゲームの全盛期ですね(笑)。いちばんゲームが好きだった頃じゃないかなぁ。スーパーファミコンが出たのが中学生の時だったので、友達と一緒にすごく盛り上がっていました。

――

放課後にみんなで集まってワイワイ遊んだりとか? 

ZUN

そういうのもやりましたし、『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』をみんなで貸し借りして、順番にクリアしたり。この時期はRPGをすごく遊んでいた気がしますね。『ファイナルファンタジーIV』【※】とか。

『ファイナルファンタジーIV』
1991年にスクウェア(当時)から発売されたスーパーファミコン用ソフト。スーファミで発売された初の『FF』シリーズである。戦闘がリアルタイムで進行する“アクティブタイムバトルシステム”が、本作で初めて採用された。

Final Fantasy IV:
Released by Square (at the time) in 1991 for the Super Famicom. It was the first Final Fantasy released for the Super Famicom. The first in the series to implement the "Active Time System" that allows battles to proceed in real time.

――

シューティングはどうでした? 

What about shooting games?

ZUN

その頃は『グラディウスIII』【※】をやっていました。アーケードだと難しすぎたんだけど、スーファミの『グラディウスIII』は難易度がちょうどよくて。

ZUN

シューティングは小学生の頃からすごく好きでした。アーケードでもファミコンでも、とにかく難しかったですけど。たまに大学生ぐらいの人が、ゲーセンで自分よりも先に進んでいると、「あっ、先まで行ってる!」と、憧れの目で見ていました。

『グラディウスIII』
1989年にコナミ(当時)がアーケードで発表したシューティングゲームで、正式タイトルは『グラディウスIII 伝説から神話へ』。『グラディウス』シリーズのなかでも特に難易度の高い作品として知られる。1990年にはスーパーファミコンで、内容をアレンジした移植版が発売されている。

民俗学への興味

Interest in folklore studies

――

のちの「東方」につながるような趣味、たとえば民話や伝説といった民俗学的なものに興味を持ったのは、いつ頃なんですか?

ZUN

育ったのが田舎でしたから、民話みたいなものに触れる機会が多かったんです。うさんくさい伝承があったりとか。子どもの頃からそういうものは好きでしたね。

――

昆虫採集の延長みたいな感じで、子どもの頃からそういう民話を、心の中に収集していたわけですか?

ZUN

道ばたの道祖神【※】や、お地蔵さんが好きだったんです。観光客が来るような場所じゃないところに、けっこうマニアックなものがあるんですよ。そういうものを観察するのが好きで。「この道祖神は形がヘタだな」とか(笑)。ヘンな子どもでしたね

道ばたの道祖神
道祖神悪霊や疫病などが集落に入り込んでこないように、村の境や道の辻にまつられてきた神様の石像や石碑。長野県は道祖神の数が特に多く、全国一とも言われる。

受験を気にせず格闘ゲームで対戦

――

次は高校時代ですが。

ZUN

 高校になると、今度は対戦格闘ゲームの全盛期がやってきてね(笑)。

――

本当にゲーム漬けの少年時代じゃないですか! 

ZUN

高校3年間は格ゲーをすごく遊びましたね。アーケードでもやったし、スーファミの『ストリートファイターII』も出来が良かったので、家でガンガンやってました。なにしろNEO・GEO【※】も買いましたから。

NEO・GEO
1990年にSNKが発表したアーケード用のゲームシステム。『餓狼伝説』『ザ・キング・オブ・ファイターズ』といった対戦格闘ゲームのヒット作が多数リリースされた。また、アーケードそのままの内容を遊べる家庭用ゲーム機も1991年より発売されて、ROMカセットは約3万円と高額だったが、格闘ゲームファンに高い人気を集めた。

――

NEO・GEOの本体を買うというのは、さすがにガチの格ゲーファンですね。でも高校だと、さすがに進学も気になる時期ですよね? 

ZUN

高校は一応、地元の進学校だったんですけど、受験とかは考えたことがなくて、まったく勉強していませんでした。夏休みにみんな進学先を決めて勉強しているなかで、自分だけはずっとゲーセンで遊んでいて。

それで結局、大学は指定校推薦で入りました。東京電機大学です。

ゲーセン通いの日々

ZUN

高校時代はゲーセンというか、通学に使っていた駅と高校の間にあった、デパートのゲームコーナーにずっと入り浸っていました。そこの店長が、自分がゲーム好きなものだから勝手にフリープレイにして、常連のみんなと一緒に対戦していたんですよ(笑)。

その当時の格ゲーは、必殺技が全部公開されていなくて、隠し技みたいになっていたんです。それで常連のみんなで一緒に、超必殺技を探してみたりして。

指定校推薦の受験の前日、店長に「明日、受験に行ってくるよ」と話したら、「都会のゲーセンには店ごとに調べたコマンド表があるから、それを覚えてきて」と言われました(笑)。

――

受験は技表を見に行くついで、みたいな感じですか(笑)。


大学でゲーム作りを開始


――

東京電機大学では、パソコンでゲームを制作するサークルに入られたそうですが。

ZUN

ゲームを作るということを、そんなに意識していたわけではないんです。将来的にゲームを作れたらいいなぁ、ぐらいに思っていたところに、大学にゲームを作るサークルがあったので、じゃあ入ってみようかなと。

ZUN

 それで入ってみたら、サークルの人たちはみんな、パソコンを持っていて。それであわてて自分も、PC-9821【※】を買ったんです。

PC-9821「PC-9821」は、1992年から発売されたNECのパソコン「PC-9801」の上位互換シリーズ。1982年から発売されたPC-9800シリーズは、日本国内でビジネス用・ゲーム用ともに圧倒的シェアを獲得した。しかし、海外でIBM PC/AT互換機(DOS/V)の普及が進んだことから、次のWindows時代の到来を見据えて、PC-9800シリーズにもPC/ATと同様の画面モード(VGA)を搭載したモデルとして、PC-9821シリーズが発売された。

――

では、パソコンに触れたのはその時からですか? 

So that was the first time you touched a computer?

ZUN

 それが初めてですね。

That was the first time.

――

プログラムの仕方は、先輩から教えてもらったのですか? 

Did the upperclassmen teach you how to program?

ZUN

 いえ、ぜんぜん(笑)。まったくの独学です。

No, not all all (laugh). It was all self-taught.

ZUN

 とりあえず本屋さんでプログラム入門の本を買おうとしたんですけど、ゲームを作れるプログラムの解説本って、じつはそんなに種類がないんです。ゲームを作るならC言語【※1】がいいと聞いて、Cの入門書を買ってきたんですけど、そこに書いてあることがまずわからない。だってパソコンの使い方も知らないんだから(笑)。

ZUN

 それでMS-DOS【※2】を必死にいじってみて、パソコンの基礎を全部自分で調べて。とにかくC言語をいじれるようになるまでが、いちばん時間がかかりましたね。

※1

C言語
コンピュータを動作させるためのプログラムを記述する、「プログラミング言語」と呼ばれるものの1つ。汎用性が高く、スーパーコンピュータから家電などに組み込むマイコンチップまで、Cと同系統のプログラミング言語が幅広く利用されている。また、高速でコンパクトなプログラムが実現可能なため、ゲームの開発にも向いている。

※2

MS-DOS
1981年にマイクロソフトが開発した、コンピュータを制御するOS(オペレーティングソフトウェア)。当初はIBM PC互換機用に開発されたが、NECのPC-9800シリーズをはじめとする多数のパソコンに供給されて、幅広く普及した。

――

そんなふうにパソコン自体を独学で勉強されたゲームクリエイターは、ZUNさんよりも少し前の世代の方たちですよね。それこそ堀井雄二【※】さんだとか。

堀井雄二
 1954年、兵庫県生まれ。フリーライターとして『月刊OUT』や『週刊少年ジャンプ』の記事を執筆するかたわら、独学でパソコンゲームの制作を開始。『ポートピア殺人事件』『ドラゴンクエスト』シリーズなどの名作ゲームを生み出して、日本を代表するゲームクリエイターの1人となる。

ZUN

インターネットもまだ家庭にまでは来ていなかったですし、1人で東京に出てきたばかりだから、友達もいなかったですし。誰に聞いていいかもわからなくて。

でも、そうやって独学で学んでいくのは楽しかったですよ。自分が何かやるとすぐに新しいことが起こるので、すごくいじり甲斐があって。「音が出た!」「絵が出たぞ!」とやっているうちに、どんどん楽しくなってくるんです。そういうところが最初から用意されていると、たぶんそこに感動はないんでしょうけど、全部独学だったから、単純に感動できるんですよ。

――

それが半ばゲームみたいな感覚というか。

ZUN

作ること自体がゲームみたいなものでしたね。パソコンを触り始めたのが、大学1年のゴールデンウィークで、連休の間にパソコンをガーッといじっていたら、連休の終わり頃にはけっこうゲームっぽいものができてきて。

――

ということは、2週間ぐらいですか? 

ZUN

そうですね。かなり雑だけど、無理やり動くようなものは、その間に作れるようになりました。

――

では、そのゴールデンウィークの頃に作ったものが、ZUNさんがいちばん最初に作ったゲームになるわけですか?

ZUN

習作というようなものはその時ですね。いちばん最初だったかどうかは自信がないんですけど、『ぷよぷよ』を作ったんです。

――

もちろん個人の習作の範囲内ですから、ゲームのルール自体も実際に遊んで理解したものですよね? 

ZUN

目コピーですね。当時はけっこう『ぷよぷよ』を遊んでいたので、挙動もできるだけ同じになるように作ってみて。もちろん見た目とかは違いますけど、同じように積めば同じように連鎖が起こって、対戦ができるぐらいまでは作りました。

ZUN

あっ、そうだ! プログラミングじゃなくてゲームを作るということだと、中学・高校時代に『デザエモン』【※】というソフトでシューティングゲームを作っていますね。

『デザエモン』
1991年よりアテナから発売された、シューティングゲームを自作できるコンストラクションソフトウェアのシリーズ。ZUN氏が使用していたのは、1994年に発売されたスーパーファミコン版と思われる。自機や敵機、爆発パターンなどのエディットが可能なほか、BGMを作曲してループ再生することもできる。

――

なるほど、プログラミングを覚えたのは大学に入ってからだけど、シューティングゲームを作ること自体は、すでに経験済みだったんですね。

ZUN

そういう意味では、ゲームを作ること自体に対する抵抗感は少なかったです。こういうふうに絵と音楽を組み合わせて構成すればいいんだな、というのは、『デザエモン』で作った時に分かっていたので。それをパソコンで形にするためのプログラムを覚えたのが、大学生の時ですね。そのプログラムが大変だったんですけど。

Part 2

当時のゲーム制作は「謎解きゲームみたいなもの」!? ZUNさんの最初のコミケ参加&最初の「東方」(聞き手のひろゆきさんは1時間遅刻中)

Developing games back then "was like a puzzle game"!? ZUN's first Comiket and the first Touhou (The interviewer Hiroyuki is currently 1 hour late)

PC-98版「東方」の誕生

――

 プログラムは独学というお話ですが、どうやって習得したのですか。気合いですか?

ZUN

  当時はゲームのためのプログラミングの本なんてほとんどなかったので、ゲームを作るのに役立つ情報がなかなか出てこないんですよ。こっちは絵を出すにはどうすればいいのかを知りたいのに! みたいな。

There weren't many books about programming for games back then, so there wasn't a lot of useful information for making games. I was like, "what I wanted to know was how do I make images appear!"

  それでもゲームに役立つ話がちょこちょこと載っていて、そこにはソースコードも出ているので、それをちょっといじると「ここがつながってこうなるんだ」と。あとはハードの仕様書を見て、「ここのメモリをいじってるからこうなるんだ」とか、だんだんと分かってきて。

  だから、今で言う謎解きゲームみたいなものですよ(笑)。答えはこの本のどこかにあるから、ひとつひとつ調べてつなげていけばいいっていう。

――

 かなり地道な作業ですね。

ZUN

  でも、それ自体が本当におもしろくてしょうがなかったですね。今みたいにハードが複雑になると、なかなかそういうことをやるわけにもいかないでしょうけど。それで最終的には、マシン語【※】にたどり着きました。C言語には任せていられない、みたいな感じになって、いろいろとアセンブラで書いてましたね。

 マシン語
コンピュータの動作を記述するプログラミング言語の一種で「機械語」とも呼ばれる。他のプログラミング言語のように人間に理解しやすいような形で記述するのではなく、CPUが理解可能な命令をアセンブリ言語(アセンブラ)で直接記述する。コンピュータに関する深い知識が必要だが、高速なプログラムを実現できるため、性能が低い時代のパソコンではよく使用されていた。


――

 ゲームを自作するようになったZUNさんが、1996年11月に完成させたのが、PC-98版「東方」の第1作となる『東方靈異伝 ~ Highly Responsive to Prayers』【※】です。

 『東方靈異伝 ~ Highly Responsive to Prayers』
1996年11月に発表されたPC-9801用ソフトで、「東方Project」の第1弾。本作はシューティングゲームではなく、巫女の博麗靈夢(Windows版「東方」の霊夢とは名前の表記が異なる)を操作して、陰陽玉を打ち返してパネルをめくり、敵を倒すという、ブロックくずしを発展させたステージクリア型のアクションゲームとなっている。

ZUN

  大学2年の時の文化祭で、サークルの発表会に『靈異伝』を出展しました。

――

 ちなみに1年生の時は、何を出展されたのですか?

ZUN

  1年の文化祭は『靈異伝』のプロトタイプですね。まだキャラクターとかはなくて、ゲームシステムだけの状態で。2年の文化祭の時に、去年作ったゲームにキャラクターや音楽を加えて、ちゃんとした形にしたものが『靈異伝』です。

――

 『靈異伝』はけっこう変わったゲームですよね。ブロックくずしでもあり、シューティングでもあり、ピンボールみたいでもあるという。

ZUN

  それは結局、シューティングを作りたいんだけど、まだそこまでプログラム技術が追いついていなかったからですね。絵があって、キャラクターを動かせて、音楽が流れてというのを一通り全部試してみたら、ああなった。だから本当に習作なんです。

  とにかく一回、完成するまで作ってみたら、これじゃいけないなというところがいっぱい見つかったので。そこで次はようやく、シューティングゲームを作るんです。

 『東方靈異伝』の謎

――

 『東方靈異伝』で靈夢が壊しているブロックは、いったい何なんですか?

ZUN

  あれはブロックを壊しているんじゃなくて、パネルがペロッとめくれているんですよ。絵合わせゲームみたいなものですね。

 あれ自体に特に意味はないんだけど、ゲームにはよくあるじゃないですか、意味のないオブジェクトって(笑)。

――

 梵字みたいな文字だとか、そういった和風の意匠は、この時点からすでにお好きだったんですか?

ZUN

 そうですね。巫女さんを出そうというのも、最初から考えていたので。

――

 以前のインタビューで「当時、巫女さんが主人公のゲームはほとんどなかった」と言われていましたが、タイトーの『奇々怪界』【※】がありますよね?

 『奇々怪界』
1986年にタイトーがアーケードで発表した、上方見下ろし視点のアクションシューティングゲーム。巫女の小夜ちゃんを操作して、妖怪たちにさらわれた七福神を助けるために戦う。小夜ちゃんは8方向に発射できるお札と、近接時のお祓いが武器となっている。

ZUN

  そう、『奇々怪界』ぐらいしかないんですよね。ここから後になると、どのゲームにも必ず1人は巫女さんがいる、みたいな感じになりましたけど。

  『奇々怪界』はもちろん好きですよ。大学の時にアーケードの基盤を持っていましたから。あのゲームは縦画面だから、家ではなかなか遊びづらいんですけど(笑)。

 コミックマーケットに初参加

――

 2作目となる『東方封魔録 ~ the Story of Eastern Wonderland』【※】で、今の「東方」にまでつながる、縦スクロールのシューティングゲームが登場します。

 『東方封魔録 ~ the Story of Eastern Wonderland』
1997年8月のコミックマーケットで発表されたPC-9801用ソフト。「東方Project」の第2弾で、原作ゲームの基本スタイルである“縦スクロール型弾幕シューティング”の最初の作品である。自機は靈夢のみで、4面(ゲームは全5面)のボスとして魔理沙が初登場している。

ZUN

 『靈異伝』を作った時はまだ、スクロールができなかったんですよ。PC-98で画面をスクロールさせるのがまた、すごく大変で。ほかのいろんなゲームを見て、こうやってスクロールさせているのかなと推測したりして、方法を吸収しました。技術は盗んで覚えるというか。

――

 そうした苦労の末に、『封魔録』が完成した時のお気持ちは?

ZUN

  完成させるだけで必死だったので、作り終えた後は、物足りない気持ちがありましたね。もっとできるよな、と。

――

 『封魔録』が発表されたのは、1997年8月のコミックマーケットですね。コミケに参加しようと思ったきっかけは?

ZUN

  『靈異伝』を作った時に、サークルの先輩から「冬コミに申し込んでおけばよかったね」と言われて、初めてコミケの存在を知ったんです。

  それで翌年の夏コミに申し込んで、そこに『靈異伝』を出そうという話になったんですけど、夏まではまだ時間があったので、新しいゲームを作ったのが『封魔録』です。だから夏コミには、『靈異伝』と『封魔録』の2本を同時に出したんです。

――

 ちなみに、参加する前年の冬コミには行かれたのですか?

ZUN

  行ってないですね。だから初めて行ったコミケが、サークル初参加です。

――

 コミケに初めて行かれてみて、いかがでしたか?

ZUN

  コミケカタログのまんがレポートとかを読んで、「コミケってこんな感じのお祭りなんだ」と思っていたんですけど、同人ゲームのエリアは、そんなに大勢の人がいるわけでもなくて(笑)。でも、僕のゲームもすぐ売れたんですよ。意外と売れるじゃん、楽しいなと、そんな感じでしたね。

――

 自分が作ったものを目の前で買っていってくれる楽しさを、そこで味わったんですね。

ZUN

  それで次の冬コミも出ようと、新しいゲームを作って。そうしたら「夏コミで買いましたけど、おもしろかったです」という人が来てくれて、また売れて。それで次も、その次もと、1作ずつ出していったんです。

――

 2作目から5作目までは、ものすごいスピードで作られていますよね。『封魔録』から次の『東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream』【※1】までは、4カ月しか空いていないですし、その後も夏に『東方幻想郷 ~ Lotus Land Story』【※2】を発表。冬のコミケでも発表して年2作のペースです。


※1

 『東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream』
1997年12月のコミックマーケットで発表されたPC-9801用ソフト。「東方Project」の第3弾で、左右に分割されたステージで自機と敵キャラがそれぞれ弾幕シューティングをプレイする対戦型のゲームとなっている。靈夢、魔理沙など7+2キャラを自機として選択でき、2人対戦プレイも可能。

※2

 東方幻想郷 ~ Lotus Land Story』
1998年8月のコミックマーケットで発表されたPC-9801用ソフト。「東方Project」の第4弾で、第2弾の『東方封魔録』同様、東方縦スクロール型の弾幕シューティング。自機選択が可能となり霊夢と魔理沙の2人から選べるようになった。

ZUN

  その間、学校にほとんど行ってなかったので(笑)。大学は最終的に、ギリギリの単位で卒業しましたから。


少女趣味の原点

――

 PC-98版の「東方」には、ZUNさんらしいキャラのモチーフが、この時点ですでにかなり出ていますが、それはどんなところから来ているんですか? 少女漫画的なモチーフが、かなり多いと思うのですが。

ZUN

  少女漫画って、子どもの頃は読んだことがないんですよ。その後になってからは読んでいますけど。

  キャラクターや世界のモチーフを、ほかの作品から引っ張ってきたりはしていないです。単純に、自分がこういうものが好き、というものを入れていった結果だと思います。

――

 アリスやロリータファッションといった、少女趣味的なものの原点はどこにあるんだろう? と、ここまでのZUNさんの半生を聞いていて、疑問に思ったのですが。

ZUN

  「なぜこういうものが好きなんですか?」と聞かれると、たしかに難しいですよね……。

  少女趣味的なものは、子どもの頃には一切なかったです。だから自分でもよく分からないんですけど、たぶん、いろんなゲームにこういった要素が少しずつ出てくるじゃないですか。それを吸収していったんじゃないかと思います。

  この作品だ、というズバリのものはないんですけど、これまでに楽しんできたゲームなり、マンガなりに少しずつそういう要素があって、それが徐々に、自分のなかに溜まっていった感じでしょうか。

Part 3

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_3

ZUNさんの就活!(倍率2000倍でタイトーに内定)そして学生最後のコミケ「自分でゲームを作るのはこれで最後だと思っていました」(ひろゆきさんからようやく連絡が!)

大学生活の総決算となった『東方怪綺談』

――

大学の後半には単位の問題だけではなくて、就職活動もあったと思うのですが? 

ZUN

受験勉強もやらなかったし、大学の授業も適当に過ごして、自分のやりたいことだけをやってきましたけど、さすがに就職は自己責任なので、全部自分でやらなきゃいけなくて。でもエントリーシートは結局、3社しか出していないんですよ。

――

それはどちらの企業ですか?

ZUN

タイトー【※1】とアトラス【※2】とCRI【※3】。それでタイトーだけ受かったんです。超就職氷河期の時代だったので、受かっただけ良かったですよ。タイトーだって、1万人応募して受かったのは5人ですから。

※1

タイトー
1953年に設立された老舗ゲーム会社で、1978年に発表したアーケードゲーム『スペースインベーダー』は社会現象を巻き起こす大ヒットとなった。その後も『ダライアス』『電車でGO!』など、数々の人気作を生み出している。現在はスクウェア・エニックスの傘下となっている。

※2

アトラス
1986年に設立されたゲーム会社だが、吸収合併された企業の破産などを経て、現在はセガゲームスの完全子会社として再建されている。『真・女神転生』シリーズと、そこから派生した『ペルソナ』シリーズがよく知られているが、ほかにも『豪傑寺一族』『世界樹の迷宮』など、人気作は数多い。

※3

CRI 正式名称は「株式会社CSK総合研究所」で、セガの会長でもあった大川功氏が率いたCSKグループの1社として1983年に創設。マルチメディアの研究開発や、各種ゲーム機に対応したミドルウェアの提供を行っていた。また、『エアロダンシング』などのゲームも制作していた。同社のミドルウェア業務は現在、CSK・セガグループから独立した株式会社CRI・ミドルウェアに継承されている。

――

えぇーっ! 狭き門じゃないですか。

ZUN

まぁでも、僕の場合は大学4年間、ずっとゲームを作っていたので、作品を提出すればなんとかなるかなとは思っていました。

――

1998年12月に発表された、PC-98版「東方」の最終作である『東方怪綺談 ~ Mystic Square』【※】は、学生生活の総決算にあたる作品だと思いますが?

『東方怪綺談 ~ Mystic Square』
1998年12月のコミックマーケットで発表された、PC-9801用の縦スクロール型弾幕シューティングゲーム。「東方Project」の第5弾で、PC-98版「東方」(東方旧作)の最終作である。自機として靈夢と魔理沙に加え、ここまでの過去作でラスボスだった魅魔と幽香も選択可能なほか、過去4作のBGMもほぼ全曲を聞くことができるなど、PC-98版「東方」の集大成と言える内容だ。

ZUN

自分でゲームを作るのはこれで最後だと思っていましたね。学生気分は卒業して、ここから先は会社でちゃんとゲームを作ろうと。

――

学生時代最後の『怪綺談』を出した時には、同人サークルとしてはどれぐらいの人気だったのですか?

ZUN

そこそこ高かったですよ。雑誌の『ゲームラボ』【※】にソフトの紹介記事が載って、それを見て来てくれた人もいたので。それに4回連続でコミケに出ているので、常連の人もいましたし。

『ゲームラボ』
三才ブックスが1985年より発行していた雑誌『バックアップ活用テクニック』が、1994年にリニューアルされて『ゲームラボ』として新創刊された。2017年に休刊したが、2018年に復活している。コンピュータゲームの改造といったアングラ寄りの内容のほか、同人ゲームの紹介記事も掲載されていた。

――

サークルの配置は、どのあたりですか?

ZUN

『怪綺談』の時は、誕生日席【※】でした。

PC-98の頃はおもしろかったですね。特にプログラムを作るのが楽しかったです。就職でプログラマーを選んだのも、プログラムがいちばん楽しかったからなので。プログラミングは、パソコン全体を支配しているような感じを味わえるのが楽しいですよね。

……それはともかく、ひろゆきさんがまだ来ていないのは、大丈夫なんですか?

誕生日席
コミックマーケットや例大祭などの同人即売会では参加サークルの座るテーブルが、「島」と呼ばれる長方形の形に並べられている。人気があり来客が集まりそうなサークルは、整理の都合上、広い通路に面した長方形の角の席に配置されることが多い。この配置が「誕生日席」と呼ばれている。ちなみに、さらに大勢の来客が予想されるサークルは、「島」の外側となる建物の壁際に配置される。

――

ひろゆきさんからは「うへへ、向かってます」というメッセージがSNSに届いています。「うへへ」じゃねぇよ!(笑)

音楽との出会い

――

ここまでに、音楽の話がまったく出てこないのですが、音楽はいつ頃から興味を持たれたのですか?

ZUN

音楽は子どもの頃から好きでした。家にオルガンがあったので、それをよく弾いていましたね。あとは学校の音楽室にある楽器も、勝手にいじっては先生に怒られていました(笑)。

――

それは即興で弾いていたのですか? それとも楽譜を見て?

ZUN

楽譜も弾いていましたよ。親に「楽譜を買って」とねだって買ってきてもらったら、それが宗次郎【※】の『大黄河』で。

宗次郎
1954年、群馬県生まれ。自身が手作りしたオカリナを使用して、世界の名曲やオリジナル曲の演奏を行っている。1986年に放送されたNHK特集『大黄河』の音楽を担当して、一躍注目を集めたほか、映画音楽なども手がけている。

――

子どもが弾くにしてはずいぶんと渋い選曲ですが、なぜ宋次郎だったんですか?

ZUN

親が買ってきたから(笑)。しいて言えば、喜多郎【※】という音楽家を知ってます? あの人が晩年に、長野の八坂村という山奥に住むようになるんですけど、その八坂村がウチの母さんの実家なんですよ。

喜多郎
1953年、愛知県生まれ。シンセサイザー黎明期の1970年代よりシンセサイザー奏者として活動を開始。1980年より放送されたNHK特集『シルクロード』のテーマ曲が大ヒットして、シンセサイザーサウンドが日本に普及する立役者の1人となった。2001年にはアルバム『Thinking of you』でグラミー賞を獲得している。喜多郎氏は1980年から約10年間、長野県旧八坂村(現・大町市)に居住して楽曲制作を行っていた。

――

そうなんですか!

ZUN

そういうのもあって、子どもの頃からよく喜多郎の曲を聴いていました。あの頃は喜多郎や宗次郎以外にも、日本の民俗的な音楽をシンセサイザーなどで現代的にアレンジしている人たちが多くて、そういう曲が大好きだったんです。姫神【※】も好きでしたし。音楽はその影響が大きいですね。

姫神
1980年にシンセサイザー奏者の星吉昭氏ら4人でバンド「姫神せんせいしょん」を結成。『奥の細道』『姫神伝説』などのアルバムで、日本の風土や東北の文化と電子音楽が融合した、独自の世界を作り上げた。1984年にバンドを解散後、星吉昭氏のソロユニット「姫神」としての活動を開始。2004年に星吉昭が死去した後は、長男の星吉紀氏が「姫神」を継承している。

――

それ以外のポップスやクラシックは?

ZUN

どちらもほとんど聴いていなかったですね。大学になるとちょっとカッコつけて、ジャズが好きになるんですけど。たまにジャズバーに行ってみたりして。

――

大学で楽器を演奏したりはしなかったんですか?

ZUN

しなかったですね。中学の頃は吹奏楽をやっていたので、そこで演奏していましたけど。

――

吹奏楽の楽器は、何をやられていたんですか?

ZUN

トランペットです。

――

“ZUNペット【※】”の元祖ですね(笑)。

ZUNペット
「東方」ファンのあいだでは、ZUN氏の曲に使われるトランペットの独特の音色やメロディを指して、“ZUNペット”と呼ばれている。『UNDERTALE』の作者であるトビー・フォックス氏も、同作の楽曲のなかでZUNペットをリスペクトしている。

ZUN

トランペットは吹奏楽のなかで憧れる楽器ですから。どうせやるなら花形でしょう、と。

Part 4

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_4

サラリーマンZUNさん「最初は研修で、ゲーセンの店員」、コミケに復帰してWINで「東方」を作るまで(ひろゆきさんは2時間遅れで到着)

他人との共同作業は“面倒くさい”

Working with others is "a chore"

――

ZUNさんはプログラムを独学で習得されたとのことですが、音楽の作り方も、誰にも習っていないわけですよね? 

ZUN

 いまだに一度も教わったことがないです。

――

さらにはイラストも、自分でお描きになっていますよね。

ZUN

 じつは、最初は友達に描いてもらおうと思って、ちょっとお願いしていた時期もあったんです。でも、面倒くさくて(笑)。

――

なにもかも自分でやるほうが、面倒くさくないですか? 

ZUN

 1人でやったほうがラクですよ。独学だったのも、他人に聞くより自分でいろいろ試してみるほうがラクだったからで。そのほうが楽しいんです。

――

ゲーム作りのすべての工程を1人で手がけていて、しかもそれを20年も続けているというのは、おそらくZUNさん以外にはいないと思うんです。堀井雄二さんや中村光一【※】さんのように、ゲームの黎明期に1人で作られていた方も、その後はチームで作るようになっていますから。普通はイラスト、プログラム、音楽のうちどれか1つぐらいは、ほかの人に依頼しますよね。そのすべてを1人で作られているのは、ZUNさんがオンリーワンだと思います。

中村光一
1964年、香川県生まれ。株式会社スパイク・チュンソフト取締役会長。高校生の時に独学で制作したゲーム『ドアドア』が、エニックス(当時)主催のゲームコンステトに入賞し、プロのゲームクリエイターとなる。『ドラゴンクエスト』シリーズの開発を経て、『かまいたちの夜』『風来のシレン』などで新ジャンルのゲームを次々と生み出した。

ZUN

 その3つをできる人が集まって、最低3人いれば、ゲーム作りはなんとかなりますよね。

――

でもZUNさんは、そういうやり方を一瞬は考えたものの、面倒くさくてやらなかったわけですよね? 

ZUN

 他人とやり取りするのが面倒くさいんですよ。「ここはもっとこうしたほうがいい」とか、お互いに言い合うのが面倒で。どうしても遠慮しちゃうし。じつはあんまり良くないんだけど、せっかく描いてもらったんだし……と、きっとそうなる自分が想像できてしまうので。

お酒に関心を持ったきっかけ

――

さて、ZUNさんと言えば切っても切れないものが、お酒だと思います。もちろんお酒を、飲 み 始 め た のは、20歳になってからだと思いますけど(笑)。

ZUN

 そうですね(笑)。

――

とはいえ、お酒に 関 心 を 持 つ ようになったのはいつ頃ですか? 

ZUN

 昔はおおらかだったので、地域の運動会とかがあると、周りの親たちがみんなお酒を飲んでいるんですよ。あとはお祭りの時に、大人の神輿とは別に、子どもたちが担ぐ神輿もあるんですけど、それがなぜか一斗樽で(笑)。それを最後に大人が鏡割りするんです。大人が飲むために子どもがお酒を運んでるんじゃないかって(笑)。

 そんな時代だったので、「大人になったらお酒を飲むんだ」とか考えることすらなかったぐらい、当たり前のことでしたね。

――

大学に入って20歳を過ぎると、お酒を飲むようになったと思うのですが。

ZUN

 でも大学の頃は、あんまり派手な飲み方はしなかったですよ。自分の同人サークルを出すようになってから、同人の集まりで飲むようになった頃に、ちょっと派手な飲み方をし始めちゃいましたけど。

 僕のところにビールを1ケース、バーンと置かれて。そこから直接取り出しつつ、朝まで何十本飲んだか分からないっていう。

――

でも、ZUNさんが酔ってベロベロになった、みたいな話は聞かないですよ。

ZUN

 昔から強かったですね。酒での失敗はしていないです。

ゲーム会社にプログラマーとして就職

――

大学を卒業して、サラリーマンになったわけですが、タイトーではすぐにゲーム開発の現場に加わったのですか? 

ZUN

 最初は研修で、ゲーセンの店員をやらなきゃいけなくて。それはそれで大変でしたね。今までずっと家でゲームを作っていた人間が、急にゲーセンの店員をやるんですから(笑)。

 ただ、平日の昼間にゲーセンにいると、人間観察がおもしろいですよ。「このサラリーマンは朝からずっと『上海』【※】をやってるけど、会社に行ってるのかなぁ」とか(笑)。

『上海』
麻雀牌が積み上げられた山の中から、2個の同じ牌を選んで消していくパズルゲーム。1986年にアメリカのアクティビジョン社から発売されて、その後、多数のゲームハードで登場している。アーケード版は1988年にサンソフトから発表されて以降、シリーズ化されている。

――

そんな感じで研修を終えて、いよいよゲーム開発の現場に参加することになりますが、当時の開発現場は、どのような雰囲気でしたか? 

ZUN

 最初に偉い人から「開発現場は悪い意味で凝り固まっているので、若い人がそれをぶち壊してほしい」とか言われて。でも中に入ると新人だから、これをやってくれ、あれをやってくれとやらされているうちに、だんだんと同じような考え方になっていくんですよ(笑)。

 いつの間にか開発寄りになって「自分が作りたいゲームに“そんなの売れない”と金を出してくれない上司が悪い」とか言い出しちゃう。個人でやる時には、その考え方はプラスになっていると思うんですけど、会社としてみると、それはダメかもしれないなと。会社はそういうことを悟るような場所でしたね。

会社での共同作業

――

仕事でゲームを作るとなると、これまで「面倒くさい」と言っていた、複数の人間で分業することに直面せざるを得ないと思うのですが?

ZUN

 会社にいた時は、僕はあくまでプログラマーなので、ただ上から言われたことをやっているわけです。それは自分が作ったゲームではなくて、あくまで自分がその一部に携わっているゲームでしかないので。

 会社では、僕はプロデューサーとかそういった、自分のゲームを作る立場になったことはないですから。なので、そこでの違いは言いづらいですね。

 ただ、与えられた範囲のなかで最大限、おもしろくなるように作ってはいたので、会社では楽しかったです。自分ですべてを作ったゲームではないんですけど、与えられた部分を自分なりにアレンジして表現している時は、そこだけの小さなゲームを作っているような感覚でしたね。

――

与えられた範囲のなかで、自分の好きなようにやっていた感じでしょうか? 

ZUN

 好き勝手やるのは楽しいんですけど、それはそのゲームが売れるか売れないかということと、もはや関係がないですよね。もし自分が上に立つ立場でゲームを作るとなると、ひとりひとりが好き勝手にやるのもどうかと思うし(笑)。そこは立場の違いですね。

ひろゆき氏が2時間遅れで登場!

――

サラリーマン時代の経験で、その後に活かされていることは? 

ZUN

 いっぱいありますよ。そのおかげで今は最低限、社会人っぽくなれているし(笑)。

 ずっと独学でゲームを作っていたので、会社に入って初めて、ちゃんとゲームの作り方を学ぶことができましたから。独学のわりには、けっこう同じ方法でやっていたんだなと思いつつ、「こんないい方法もあるんだ」とわかったりして。おかげでいろんなアイデアが出てきたので、良かったです。

――

そんななか、同人活動を再開することになるわけですが……って、ひろゆきさんがやっと到着ですよ! 

Hiroyuki

 お疲れさまです。やっちゃいましたね(笑)。

ZUN

 もう半生のうちの半分ぐらいは終わりましたよ(笑)。

――

とりあえず全員揃ったところで、改めて乾杯しましょうか。

Everyone

かんぱ~い!

仕事をしながらコミックマーケットに復帰

――

さて、サラリーマンになって、もう出ないと思っていたコミックマーケットに、また出ることになったのはなぜですか? という質問から、続きを始めましょうか。

Hiroyuki

 社会人になる必要なんて、なかったんじゃないですか。同人でも食えていたんですよね? 

ZUN

 食える、食えないじゃないですね。学生は卒業したら就職するものだと思っていましたから。

――

そんなZUNさんが、コミックマーケットにまた戻ってきたのは、なぜなんですか? 

ZUN

 それはですね……。自分の好きなようにゲームを作れないと、ストレスが溜まってくるんですよ。

 会社で言われたとおりにゲームを作っていても、このゲームがおもしろくないのはなんとなくわかっている。それで売れないと、とりあえず作った人のせいにされちゃう。それはけっこうツラいですよ。

 そうやってストレスが溜まってきた時に、久しぶりにコミケを見に行ったんです。正月も全部会社に行くことが決まっていたんですけど、そんななか、2000年くらいの冬コミの会場に行って。

 それで同人ゲームのエリアに行くと、僕がいた頃よりもぜんぜん人が多くて、同人ゲームに人が群がっているんです。だけどゲームが出ている数は減っていて、午後に行ったんですけど、その頃にはしょぼいゲームでも全部売り切れていて。

――

2000年頃というと、ちょうど同人ゲームのプラットフォームがPC-9801から、Windowsに切り替わる時期ですよね。

ZUN

 そうなんです。Windowsでゲームを作れる人がまだ少なかったので、今なら「フリーゲームでもこんなのやらないよ」というものでも、すごく売れていたんですよ。

Hiroyuki

 とりあえずWindowsでゲームを出せば、みんな買ってくれるみたいな。ちょっとしたバブルだったんですね。

ZUN

 それを見て、「自分だったらもっとおもしろいものが作れるな」と思ったのが運のツキで。仕事がすごく忙しい時期だったんだけど、またコミケに出ちゃおうかな、と思ったんです。

Part 5

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_5

ZUNさんがコミケに落選!?そして「紅魔郷」の制作、「すべて、弾幕をおもしろくするためにあるんです」“スペルカード”の誕生・ストーリー・キャラクターについて

音楽サークルとして申し込み

――

前回の続きから。仕事で多忙だったが、コミックマーケットに出ようと思ったということですが。

Hiroyuki

 その時に、会社を辞めようと思ったんですか? 

ZUN

 会社を辞めるのは2007年ですから、まだかなり先の話ですね。

 その後、2001年の冬コミに参加しようと申し込んだんですけど、その時はまだゲームを作る気はなくて。音楽サークルとして申し込んで、音楽CDを出そうと思っていたんです。でも、その時は落ちちゃって。

――

音楽サークルとして申し込んだ時のサークル名は? 

ZUN

 「上海アリス幻樂団」です。この名前は、もともとは音楽サークルとして申し込んでいたからなんですよ。

Hiroyuki

 なるほど! 

ZUN

 でも2001年の冬コミには落ちたんです。それで一般参加で会場に行ったら、先ほどお話ししたように、同人ゲームの需要と供給が合っていないのを見て。じゃあ自分で作ろうかなと思って、2002年の夏コミはゲームサークルで申し込んでみたら、今度は受かったんです。

「上海アリス」の由来

The origin of "Shanghai Alice"

Hiroyuki

 ゲームサークルで申し込む時も、サークル名は変えなかったんですよね? 

ZUN

 変えなかったですね。一回落ちると、次に受かりやすくなるという噂があったので(笑)。

Hiroyuki

 そんな理由で、今までずっと使っているんですか(笑)。

――

音楽サークルで参加しようと思った時は、どうしてその名前をつけたんですか? 

ZUN

 「幻樂団」は、音楽サークルっぽいからですね。「上海」は、西洋風なものと東洋風なものが混ざっている場所のイメージとして選びました。

 「アリス」は、少女的なものやゴスロリみたいなものを混ぜた感じのイメージがあるので。ちょっとダークなイメージを持たせたかったんです。その時出したCD(『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』【※】)も、ダークな感じだったので。

 それで、その2つを組みあわせた「上海アリス」というのは、ほかで聞いたことがない響きで、おもしろいかなと思ってつけたんです。

 『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』
上海アリス幻樂団初の音楽CD。2002年8月のコミックマーケットでCD-R版が頒布されて、2002年12月のコミックマーケットからはプレス版のCDが頒布された。この時点までの「東方」楽曲のアレンジ版や、オリジナル曲で構成されている。現在は、GooglePlayMusicとiTunesで配信されている。

Hiroyuki

 中国の人に「なんで上海なんですか?」と聞かれたら、どう答えるんですか? 

How would you answer if a Chinese person asks you "Why Shanghai?"

ZUN

 実際にけっこう聞かれるんですよ。それで今と同じように答えたら、中国の人に「あぁ、長崎みたいな感じですね」と言われました(笑)。

I actually get asked this a lot. And if I answer like I did just now, the Chinese person would say, "ah, so it's kinda like Nagasaki" (laugh).

Hiroyuki

 ということは、中国の人には「長崎アリス幻樂団」になるんだ(笑)。じゃあ、アリスという女の子の名前に、そんなに思い入れが強いわけではないんですね? 

So for Chinese people it would be "Team Nagasaki Alice" (laugh). So you didn't put that much thought into the name Alice?

ZUN

 キャラクターとしてのアリスには、あんまり思い入れはないですね。

――

少なくとも、ルイス・キャロル【※】のアリスではない感じですか? 

ルイス・キャロル
19世紀イギリスの数学者・写真家・作家。友人の娘アリス・リデルをモデルとした主人公、アリスが不思議な世界と出会う『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の作者として広くしれている。ちなみに「ルイス・キャロル」はペンネームで、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。

ZUN

 なんだろう……。言葉がまず強かったのでね。いろんな人がアリスという言葉を使っていたので、ジャンルとしてそういうものがあるのかなと。もちろん、アリスソフト【※1】とも関係ないですよ(笑)。

 しいて言うなら、『真・女神転生』に出てくるアリス【※2】かなぁ、六本木の。

※1

 アリスソフト
1989年に発足した18禁美少女ゲームブランド。代表作は『ランス』シリーズ、『闘神都市』シリーズなど。

※2

『真・女神転生』に出てくるアリス
廃墟と化した六本木で、支配者である赤伯爵と黒男爵の庇護を受けている少女。じつはアリスは、赤伯爵と黒男爵に偽りの生命と記憶を与えられた死者であり、彼らは六本木を訪れる人々をゾンビ化して、アリスの友達にしていた。「死んでくれる?」は、主人公たちを永遠の友達にしようと望むアリスが投げかけるセリフである。

――

「死んでくれる?」の、あのアリスですか? 

ZUN

 そうそう。『真・女神転生』は高校の時に遊びました。『女神転生』シリーズが好きなので、「東方」にもメガテンっぽい要素はけっこう入っていますね。妖怪や神様も出てきますし。

Windows版「東方」の誕生

The birth of Touhou on Windows

――

それで2002年8月の夏コミで、Windows版「東方」の最初の作品として発表されたのが、『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』【※】ですね。この時は同時に、音楽CDの『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』も発表されています。

『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.
2002年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲーム。「東方Project」の第6弾であり、『東方妖々夢』『東方永夜抄』と続く3部作の起点となる。Windowsで初の「東方」ということで“スペルカードシステム”などの新たな試みがいくつも採り入れられている。

Hiroyuki

 久しぶりにコミケに参加してみて、どうでした? 売れました? 

ZUN

 全部はけましたよ。PC-98でゲームを出していた時のファンの人たちが、思っていたよりも大勢いて、また来てくれたんです。4年も経っているし、PC-98からWindowsになっていて、ぜんぜん別物だと思っていたのに。

――

『紅魔郷』はPC-98時代から、ゲームシステムも世界設定もいろいろとアップデートされていますが? 

ZUN

 『紅魔郷』はどちらかというと、新作のつもりで作っていて。昔こういうゲームを作っていたのは内緒にしておいて、「スゴいゲームがいきなり出てきたぞ!」みたいな感じにしたいと思っていたんです(笑)。

 ストーリー的にもそんなにつながってないし、ここから遊んでも何の問題もないですから。そこに、作っていなかった間に溜まっていたアイデアを入れていって。

――

会社で仕事としてゲームを作っているあいだも、「東方」のいろんなアイデアが溜まっていたのですか? 

ZUN

 溜まっていましたし、会社でもシューティングを作りたくて、そういう企画書を出したりもしましたね。

Hiroyuki

 じゃあ、タイトーから「東方」が出ていたかもしれない? 

ZUN

 それは「東方」ではなくて、同じようなアイデアのゲームという意味ですね。

Hiroyuki

 そのゲームが実現していたら、今頃はタイトーで成功していたかも? 

ZUN

 もし出ていても、成功はしなかったかもしれないですね。「東方」の人気が出たのは、コミケだからかもしれないので。会社で作るのと個人が作るのでは、ユーザーの受ける印象も違いますから。今はインディーも大きな会社も、そんなに差がないですけど。

Hiroyuki

 自分のゲームを作っている間、会社の仕事はちゃんとやっていたんですか? 「どうせ辞めてやらぁ!」みたいな感じで、サボっていたとか?(笑)

ZUN

 そんなことはないですよ。会社で給料をもらっていなかったら、自分の好きなようにゲームを作れないと思っていたので。だから会社も大切にしていました。

Hiroyuki

 社内で「コミケでゲームを作っている」と言っていたんですか? 

ZUN

 いえ、言ってないですよ。まぁ、すぐにバレるんですけど(笑)。

Windowsでのゲーム開発

――

以前作っていたのはPC-9801で、同人活動を再開した時はWindowsですよね。Windowsでゲームを作るノウハウは、会社で覚えたのですか?

ZUN

 いえ、まったく。会社ではWindowsでゲームなんて作ってはいないですから。

 Windowsでゲームを作ることに関しては、もう一回イチからやり直しですね。まぁでも、みんな作ってるんだからできるだろう、ぐらいの感覚でした。ただ、PC-98の頃よりも覚えることが多くて、焦りましたね。

Hiroyuki

 その頃のWindowsには、環境依存みたいなものはなかったんですか? 

ZUN

 いっぱいありましたよ。オンボードのGPU【※】だとまず動かないというのがほとんどでしたし。こちら側としてはほとんど対応できないので、ユーザーさん自身でなんとかしてください、ということしかできなかったです。だからユーザーさんどうしで、「動かなかった時はこうすればいい」みたいなやり取りをやってくれていましたね。

GPU
パソコンの“頭脳”として命令の実行を受け持つCPU(中央集積装置)に対して、GPU(グラフィックス プロセッシング ユニット)は、画面表示の処理に特化した演算装置である。“オンボードのGPU”、つまりパソコンのマザーボードに組み込まれているGPUでは、ゲームの画面の表示を行うには処理能力が不十分なことがあるため、PCゲーマーは高性能なGPUが搭載されたグラフィックボードを別に購入して、自分のパソコンに組み込むことも多い。

スペルカードが生まれた理由

――

PC-98版の「東方」と、Windows版の「東方」で、ゲームの作り方を意識的に変えたところはありますか? 

ZUN

 Windows版からは、ストーリーやキャラクターの世界観を、もっとしっかりさせようとしていますね。

Hiroyuki

 ストーリーがあるほうがいいと思ったのは、どういうところからなんですか? 

ZUN

 シューティングゲームに足りないのは、敵の攻撃に個性がないところなんですよ。そこで敵の攻撃に名前をつけたんです。弾幕に名前をつけたら、弾自体にとたんに意味が出てきて、おもしろくなってきて。

――

それが“スペルカード【※】”のシステムですね。ちょうど、格闘ゲームの必殺技みたいなニュアンスがありますよね。

スペルカード
スペルカードとは、「東方」のキャラクターが自分の攻撃(弾幕)に名前をつけたものである。スペルカードの発動中は背景が変化し、画面にスペルカード名が表示されるなど、独自の演出を見ることができる。ちなみに敵のボスキャラだけでなく、自機キャラもスペルカードをボムとして使用できる。

ZUN

 でも、ただ弾幕に名前がついていればいいわけじゃなくて、背景にストーリーがないと、その名前がおもしろくならないんです。つまり、ゲームの弾幕をおもしろくするために、その一要因としてストーリーが必要なんです。

Hiroyuki

 それまでのシューティングゲームにも一応ストーリーはありますけど、みんな知らないし、別に興味もないじゃないですか。

ZUN

 もちろん「東方」も、ストーリー単体では別におもしろくはないですよ(笑)。ただ、それがないと弾幕に興味を持ってもらえないんです。弾幕に興味を持ってもらうために、それを撃ってくるキャラクターに興味を持ってもらいたい。

Hiroyuki

 シューティングゲームに興味を持ってもらうために、キャラクターも可愛く、わかりやすくして、弾にも名前をつけたわけですね。

ZUN

 そうですね。そういった要素がどこに集約されるかというと、結局は“弾”なんです。弾に当たれば死ぬし、逆に避け続ければクリアできる。僕がいちばん好きなのはシューティングゲームなので、それをおもしろくするために、すべての要素を用意しているんです。

 ただ、だからといって、別にキャラクターが女の子でなくてもいいし、今の「東方」のようなストーリーでなくてもいいわけで。なぜそうなっているかというと単純に、それらの要素は全部、自分の好きなものだからです。「自分の好きなものだけで構成すれば、それでいいじゃん」と。でもそれは最終的にはすべて、弾幕をおもしろくするためにあるんです。

Part 6

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_6

竹本泉、菊地秀行、諸星大二郎、藤原カムイ、京極夏彦、森博嗣、アガサ・クリスティ…ZUNさんが愛した作家たち

「東方」を作る際に影響を受けた(?)作品

――

「東方」のストーリーを作る際に、「これが好きだ」と思っていたものはなんですか? たとえば「東方」のキャラには、竹本泉【※】さんっぽい雰囲気があると思うのですが? 

竹本泉
『あおいちゃんパニック!』『ねこめ~わく』などの作品で知られる少女漫画家。ほんわかとした絵柄と物語が特徴的だが、そのなかにSFやファンタジーのエッセンスが織り込まれていることも多い。『ゆみみみっくす』『だいな♥あいらん』といったゲーム作品に参加している。

ZUN

 竹本さんのコミックは、たしかに読んでいました。「東方」でもあのぐらいユルい感じは出したかったですし。

 『紅魔郷』を作る時に、影響を受けたというほどではないんですけど、こういう感じにしたかったという意味では、菊地秀行【※】ですね。『吸血鬼ハンターD』シリーズの。内容はぜんぜん違うんですけど、吸血鬼を出してみたりして。

菊地秀行
千葉県生まれ。『魔界都市〈新宿〉』『吸血鬼ハンター“D”』など、数々の人気シリーズで知られる小説家。エロスとバイオレンスに彩られたその作品世界は、伝奇アクション小説のジャンルを開拓した。国内外のホラー映画や幻想小説にも造詣が深い。

――

子どもの頃はあまりマンガを読まなかったとのお話ですが、大人になってからは読まれているんですよね? 

ZUN

 そうですね。諸星大二郎は大学の頃から好きでした。藤原カムイも好きですね。

 活字の本も含めて、子どもの頃はあんまり本を読まなかったのに、大人になってから、急に本が好きになって。

※1

諸星大二郎
1949年、長野県生まれの漫画家。『妖怪ハンター』『暗黒神話』といった日本古代史を題材とした作品で、既成概念を覆す物語を重厚なタッチで描き出し、読者を驚かせた。ほかにも中国史やインド史を題材とした『孔子暗黒伝』『西遊妖猿伝』から、ホラーコメディ『栞と紙魚子』シリーズまで、その作風は幅広い。

※2

藤原カムイ
1959年、東京都生まれの漫画家。『チョコレート パニック』『雷火』など、繊細な絵柄と緻密にデザインされた画面構成で、コミック業界にインパクトを与えた。『帝都物語』『精霊の守り人』など、人気小説の漫画化も手がけている。代表作となった『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』シリーズをはじめ、ゲーム関連の仕事も多い。

Hiroyuki

 映画やテレビからは、影響を受けなかったんですか? 

ZUN

 ほとんど見てないですから。映画も見てない、アニメも見てない、テレビドラマなんて今まで1回も見てないんじゃないかな。おもしろいものなんて世の中にはいっぱい転がっているのに、映画やドラマをわざわざ自分が追いかける必要はないので。

フィクションはあまり好きじゃない

――

ZUNさんにとって、ストーリーはあくまでゲームを盛り上げるための一要素なんですね。

ZUN

 たとえば映画やドラマを見ても、ストーリーを追いかけるのが苦痛なんです。出てくる人間たちに共感を受けないというか、別に共感する必要もないし。

Hiroyuki

 本の場合は大丈夫なんですか? 

ZUN

 本も、以前はフィクションも読んでいたんですけど、最近は読まなくなりました。

Hiroyuki

 じゃあ、もともとフィクション自体がそんなに好きじゃないんですか? 

ZUN

 そうですね。

――

中学生の頃にRPGをけっこう遊んでいたというお話がありましたが、RPGのストーリーについてはどう思われますか? 

ZUN

 RPGも、ストーリーではあまり楽しんでいないですね。戦闘だとか、どこでアイテムが手に入るかといった部分で楽しんでいて。

Hiroyuki

 ゲームをやっていて「ストーリーなんてなくてもいい」と思うタイプですか? 

ZUN

 それは違うんですよ。やっぱりストーリーがあることで、アイテムや戦闘が活きてくるんです。ストーリーがないと、急に強いボスが出てきても、別に倒したくないじゃないですか。そう考えると、ボス戦を盛り上げるためにストーリーがあるわけで。そういう意味で言えば、ストーリーはオマケなんです。

Hiroyuki

 ストーリーは単なる味付けであると? 

ZUN

 味付けなのかどうかはともかく、ストーリー自体を楽しむようなゲームは、僕は楽しめていないかなと思います。

Hiroyuki

 ZUNさん自身がストーリーに思い入れがないぶん、「東方」の二次創作でストーリーを勝手に作られても気にならない、ということですか? 

ZUN

 うーん……もしかしたらそうかもしれない。僕自身がキャラクターにあまりストーリーを持たせていないから、二次創作に対してなんとも思わないのかもしれないですね。

ミステリー小説は何を楽しんでいたのか

ZUN

 フィクションでは、推理小説をよく読んでいましたね。でも推理小説は、ストーリーを楽しむために読んでいるかというと、そうでもないので。不思議なことが起きていて、でも答えはきっとあるはずだ、という。

――

それも結局、ゲームですよね。

ZUN

 だから「こいつは殺されてしかるべき人間だ」みたいな読み方はしていないですね。

――

ミステリーといえば、「東方」にアガサ・クリスティ【※】をモチーフにしたものがよく出てきますね。それ以外ではどんなものを? 

>アガサ・クリスティ
1920年のデビューから1976年に死去するまで多数の推理小説を執筆し、「ミステリーの女王」の異名を持つイギリスの小説家。エルキュール・ポアロやミス・マープルといった名探偵の生みの親でもある。『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』など、映画化やドラマ化された作品も多い。

ZUN

 森博嗣【※1】とか、京極夏彦【※2】とか。ミステリーはたくさん読んでいましたね。最近はあまり読んでいないですけど。

あとは、SFも好きでした。SFも結局ストーリーじゃなくて、こんな世界にこういうシステムがあったらこうなる、みたいなところがおもしろくて読んでいたので。

※1

森博嗣
1957年、愛知県生まれ。工学博士として建築学を研究するかたわら、1996年に『すべてがFになる』で作家デビュー。「Vシリーズ」「Gシリーズ」といったミステリー作品だけでなく、『スカイ・クロラ』シリーズのようにSF色の強い作品や、エッセイなども執筆している。

※2

京極夏彦
1963年、北海道生まれ。『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』などの「百鬼夜行(京極堂)」シリーズをはじめ、作品では妖怪や怪談が重要なモチーフとなっている。また、妖怪研究家としての活動やメディア出演も行っている。

Hiroyuki

 それも一種のシミュレーションですよね。

Windowsのシリーズ展開

――

『紅魔郷』の次が『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』【※1】、その次が『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』【※2】と、途中で黄昏フロンティア【※3】と共同制作された外伝的な作品も挟みつつ、2004年まで1年間隔でリリースされています。作品としては、『永夜抄』までの3作で一区切り、というのを意識されているのですか? 

※1

『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』
2003年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第7弾。春のやってこない幻想郷を巡る物語が描かれる。自機として霊夢、魔理沙、咲夜を選択可能。

※2

『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』
2004年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第8弾。本作では霊夢と紫、魔理沙とアリスのように自機が2人1組となっており、移動速度を切り替えるとキャラが変化する(条件を満たすと、単独のキャラを自機として選択可能)。

※3

黄昏フロンティア
格闘アクションゲームを得意とする同人ゲームサークル。『東方萃夢想』から、「東方」のアクションゲームをZUN氏と共同で制作している。『東方深秘録』は、PlayStation 4でもリリースされている。「東方」関連作以外では、『ひぐらしのなく頃に』を元にした3D対戦アクションゲーム『ひぐらしデイブレイク』などがある。

ZUN

 僕自身がそう言っていたんです。「とりあえず3つ作る」と。

 『紅魔郷』にはやりたいことがほとんど入らなくて。言ってしまえば、Windowsでゲームを作るための習作だったんです。だから次を作りたいと。

 ストーリー的にはもともと3つぐらい考えていたので、次はもっと大々的に作ろうと思って、2002年の冬コミには『妖々夢』の体験版を出したんです。そうしたら、かなり大勢の人が来てくれて。サークルが島の中【※】に配置されていたので、列が作れないから途中で島の外に出されたんですけど。

 そんな感じで、2002年の夏コミから冬コミまでの4カ月のあいだに、急にサークルとしての規模が変わっちゃって。

島の中
コミックマーケットや例大祭などの同人即売会では参加サークルの座るテーブルが、「島」と呼ばれる長方形の形に並べられている。大多数のサークルは「島」が縦に並んでいる通路側に面した席に配置される。「島の中」とはこのことを指している。

Hiroyuki

 それは何かきっかけがあったんですか? 

ZUN

 きっかけがあるとすれば、渡辺製作所【※】の代表だった、なりたのぶやさんのブログでしょうか。なりたさんがご自身のブログで、いろんな同人ゲームを紹介していたんですね。そこで『紅魔郷』の体験版の時点から、ウチのゲームをけっこう取り上げてくれていたんです。

渡辺製作所
TYPEーMOONと共同制作した『MELTY BLOOD』など、ハイクオリティな二次創作の格闘アクションゲームで知られた同人ゲームサークル。渡辺製作所の解散後、メンバーは同人サークル「フランスパン」として活動を行いつつ、『UNDER NIGHT IN-BIRTH』『電撃文庫 FIGHTING CLIMAX』などの商業作品を制作している。

――

それで『妖々夢』の完成版が出た、2003年の夏コミでの配置は? 

ZUN

そこからはずっとシャッター前【※】です。だから『紅魔郷』と『妖々夢』では、こういう言い方はアレですけど、売れていく感じがぜんぜん別物でしたね。

シャッター前
コミックマーケットでは、大勢の来客が予想されるサークルは「島」の外側となる建物の壁際に配置される。こうしたサークルは「壁サークル」などと呼ばれている。壁サークルの中でも特に多くの来客が予想される場合は、サークルへの行列を建物の外で整理するため、出入口のシャッターに面した位置に配置される。

――

それだけ人が集まって、自分の作ったゲームをプレイしてもらえるというのは? 

ZUN

それはもちろん嬉しかったですよ。その時は今と違って二次創作もないので、ゲームを遊ぶ目的の人がすごく多くて。

でも僕のサークルに関して言えば、その頃と今の売り上げは、ほぼ一緒ですよ。

Hiroyuki

そうなんですか!? 

ZUN

「東方」というジャンル全体では、すごく大きくなっていますけど、シューティングゲームとして僕のゲームが売れている数は、その頃から変わらないんです。

Hiroyuki

 へぇ~。

ZUN

 ただ、来てくれるユーザーさんの層は変わっているんですよ。だから、人類全体のなかでシューティングゲームを遊ぶ人数の割合は、常にこれぐらいなんだな、というのがわかりました(笑)。

黄昏フロンティアとの共同制作

――

2004年12月に発表された『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』【※】から、黄昏フロンティアと共同制作するゲームを、ZUNさん個人が制作するシューティングと並行して作られるようになります。

『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』
2004年12月のコミックマーケットで発表された、対戦格闘アクションゲーム。飛び道具の弾幕をかいくぐるアクションや、スペルカードなど「東方」らしいシステムが盛り込まれている。発表は『永夜抄』より後だが、『妖々夢』『永夜抄』の間の出来事という設定のため、「東方Project」としてのナンバリングは第7.5弾となっている。

ZUN

 『妖々夢』を出した頃に、黄昏さんから「作りませんか」と話が来ました。最初は「東方」の二次創作として話が来たんですけど、僕のところにわざわざ話を持ってきたということは、もっと関わりたいんだろうなと思って。

 僕は学生時代からシューティングと格闘ゲームが好きでしたから。シューティングと違って、格ゲーは1人では作れないんだけど、作ってくれる人がいるのならいいなと思って。そういう感じで一緒に作り始めたんです。

――

先ほど「共同作業は面倒くさい」というお話がありましたが? 

ZUN

 黄昏さんとは、共同作業で作っている感じではないですね。ゲームの主体は黄昏さんが作って、そのなかの世界観やキャラクターを僕が引き受けるという形です。だから僕は、仕事を受けている側なんです。

 僕のほうから「このキャラクターはこういうふうに動かせ」と言うわけではないので。ゲームとして重要な部分を僕が作っているように見えるかもしれないですけど、僕は依頼されて作っている立場です。

Hiroyuki

 そういう作り方でZUNさんとしては、格ゲーを作ってみたい欲は満たされたんですか? 

ZUN

 格ゲーでキャラクターを動かすということができているので、幸せですよ。キャラクターが動くことによって新たな魅力が出てくると、それを自分自身のゲームや作品のほうにも活かせるので、すごくいい方向に動いていると思います。

Hiroyuki

 格ゲーとかシューティングとか、ジャンルとしてどんどん縮小しているものばっかり好きなのは、なぜなんですか? 

――

格ゲーは最近また盛り上がっていると思いますけど。

ZUN

 それは僕がそういう人間だからです(笑)。お酒のほうもね、僕が好きな居酒屋はどんどん潰れていくんですよ(笑)。

Hiroyuki

 寂れていくジャンルが好きなわけではなくて、自分の好きなジャンルがたまたま寂れていく感じですか? 

ZUN

 寂れてきてはいるんだけど、好きな人たちが必ず残っていますから。ほかのジャンルのゲームと同じ作り方をしてしまうと、100万人に売れないと採算が取れないのかもしれないですけど、シューティングみたいな作り方をすれば、1万人に売れれば採算が取れますから。

 むしろ、インターネットが広まって、最近は世界中が同時に遊んでくれるようになってきたので、ユーザーの規模は広がる一方ですよ。どんなにマニアックなジャンルでも、必ず人が集まるので。

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