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Strange Creators of Outer World/Introduction of Previous Works/Mountain of Faith/Fragment of Phantasy 2

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幻想のもと②

Fragment of Phantasy

諏訪大社のご祭神といえば、タケミナカタ。
そんなタケミナカタを巡る話は謎が多く……。
諏訪大明神タケミナカタについて
古代から冶金技術を持った集団が住んだとされる諏訪の地は、日本列島の中心に位置する重要な土地として幾度となく時の権力者の侵略対象とされてきました。そうした歴史の変転ぶりは、この地の信仰にも表れています。ここでは諏訪大社の祭神タケミナカタに注目してみましょう。
謎多き神タケミナカタ
諏訪大社の祭神タケミナカタは日本全国の規模で見て非常に人気の高い神様です。日本全国にある神社の総数は10万社以上とも言われますが、規模や形態もさまざまですし、日本政府に包括的な管理を行う省庁がないため正確な数はわかりません。中でももっとも数が多いのは「八幡さん」と言われ、「お稲荷さま」や「天神さま」、「神明さま(伊勢神宮をはじめとするアマテラスを祭神とする神社)」が続き、だいたいその次くらいに「お諏訪さま」が来るようです。神社分布統計データはさまざまな結果があって確定的な順位はありませんが、神社本庁(国の機関ではなく、各神社が所属する包括的宗教法人)の公式サイトでも「主だった神さま」としてこれらが挙げられていることからも広く信仰されているのは間違いのないところです。
そんなタケミナカタですが、いわゆる「日本神話」の大元『古事記』と『日本書紀』を見る限り、どうしてそれほどの人気を勝ち得たのかわかりません。『古事記』の有名な「国譲り」の段にオオクニヌシの息子として登場しますが、役どころとしては、天から降りてきたタケミカヅチに「国を譲れ」と迫られたオオクニヌシが自分の代わりに答えると責任転嫁される形となった兄弟の弟です。しかも兄のコトシロヌシはあっさり「譲ります」と答えたので、譲りたくなかったタケミナカタはたったひとりの抵抗勢力としてタケミカヅチと争う立場となります。
と、ここまでは国を守ろうとした雄々しい英雄的存在なのですが、その後はご存知の方も多いでしょうが力比べに敗れて諏訪の地まで逃亡し、タケミカヅチに追いつめられると「もうこの地(諏訪)から出ない」と命乞いをして許されたちょっと情けない神様です。『日本書紀』に至ってはコトシロヌシまでは出てくるもののタケミナカタは名前も出てきません。神功皇后や坂上田村麻呂らに軍神として崇められるような存在とは思えないというのが、一般的な見方ではないでしょうか。
実体のない神タケミナカタ
そもそも、タケミナカタとは何者なのか、という疑問はそれこそ大昔から疑問の的でした。オオクニヌシの息子と言われても、オオクニヌシの神話を伝え『古事記』の元ネタになった『出雲国風土記』にもタケミナカタの名はありません。もっとも、『古事記』だって712年に成立したと言われてはいるものの、原本が現存せず後に作られた偽書説も根強くあって、そもそも江戸時代に本居宣長が注釈書『古事記伝』を著すまであまり知られていない存在でした。
タケミナカタは「建御名方」と漢字で書きますが、「建」は同じ『古事記』ではスサノオを「建速須佐之男」と書いているように男神の尊称です。「御名」が見たまま「御名前」で「方」を「貴方」と捉えるなら、タケミナカタの名前には代名詞以上の意味がないことになります。諏訪大社が日本でも最古の神社のひとつとされ、もっとも古い正式記録として927年にまとめられた『延喜式神名帳』に「南方刀美(ミナカタトミ)神社」と記載されており、この「南方」が「(タケ)ミナカタ」を指していることや、諏訪湖の神として「水潟(ミナカタ)」「水方」が名前の元になったともされますが、「刀美」も尊称、後者も「水の神」くらいの意味合いと受け取れます。
また、諏訪大社の公式サイトなどを見てもわかるのですが、「タケミナカタ」の名称はほとんど使われていません。基本的に「お諏訪さま」もしくは「(諏訪)大明神」と呼ぶのは地元でも一般的だったりします。うがった見方をするなら、タケミナカタは地元の人々に嫌われているように見えてしまいます。
諏訪大社は本殿がない特徴的な形態でも知られていて、これはオオモノヌシを祭神とする奈良の大神神社同様、背後の山(三輪山)あるいは巨石を御神体とした原初的な神社の信仰形態を残したものとされています。「諏訪の神職について(036ページ)」でも触れたタケミナカタよりも古い諏訪の神とされる洩矢神を祀った「洩矢神社」の由緒にも記されているように、諏訪にはタケミナカタを侵略者とする伝承もあって、洩矢神は服属し神長官となったといいます。諏訪大明神が「水の神」と言われるのも、もともといた神が三輪山の神話同様竜神あるいは蛇神だったからと考えられます。地元の人々が「大明神」と呼んでタケミナカタの名を口にしないのは古くからの神を崇敬し続けているという見方もあります。タケミナカタを侵略者で諏訪の地を奪ったと捉えるなら軍神としての崇敬も納豆がいきそうですが、どちらにしても地元には嬉しくない神様ということになりそうです。