Strange Creators of Outer World/Introduction of Previous Works/Mountain of Faith/Fragment of Phantasy 1

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幻想のもと Fragment of Phantasy
東方Projectに散りばめられた、さまざまな幻想の欠片を覗き見るコラム。
今回もライター・塩田信之氏による解説でお届けする。
まずは東風谷早苗とも大いに関係する「神職」についてだ。
諏訪の神職について
名だたる神社の中でも、「御柱祭」などで異彩を放つ「諏訪大社」。非常に古くからあって、一説には縄文時代にも遡ることのできる歴史ある神社とされていますが、伊勢神宮や出雲大社とは違う独特のどこか暗い印象があるのも確かです。ここでは神職に注目して見てみましょう。
普通の神社とは違った諏訪大社
普通、神社といえば「神主さん」がいるものと考えがちですが、実際に「神主」という役職があるわけではありません。神社で働く人たちのことを正しくは「神職」と呼びますが「神主」はその親しみやすい形にした愛称のようなものです。
一般的な神社には、その代表者として「宮司」がいます。その補佐役となるのが「禰宜(ねぎ)」です。ここまでは神社にそれぞれひとりしかいません。その次が「権禰宜(ごんねぎ)」で、神職としては「平社員」に近い立場となります。もっとも、基本的には神職に含まれない巫女や神社運営に関係するスタッフなどがいる場合もあるため、神社内で立場が低いということにはなりません。そもそも神社に限らず人手不足が常の世の中ですから、宮司しかいない神社というのも少なくはありません。
そんな普通の神社における神職と比べると、少なくとも昔の諏訪大社は少々様子が異なっていたようです。例えばすべての神社の中心的存在と言える伊勢神宮も、宮司の上に「祭主」がいるなど神社によって神職の構成が異なることはままあるのですが、諏訪大社の場合は役職名が違うといったレベルではない根本的な違いがありました。
明治以前の諏訪の神職における最高位は、「大祝」と書いて「おおほうり」と呼ばれる存在です。「祝(ほうり)」という役職があることは『日本書紀』にも記されていて、古代では神に仕える存在として諏訪以外でも設けられていた役職で、禰宜に次ぐ立場でした。これが諏訪の「大祝」の場合、「生き神様」というニュアンスが加わります。「お諏訪さま」「諏訪大明神」そのものと考えられ、「神氏」とも呼ばれた「諏訪氏」の一族が世襲してきたとされています。
「大祝」と「神長官」
大祝に次ぐ立場となるのが「神長官(じんちょうかん)」です。明治期に入るまでは「守矢家」が代々この役職を受け継いでいました。「東方」ファンならば、東風谷早苗の名前のゆかりがその「守矢家」にあることを知っている方もいるのではないかと思います。また、洩矢諏訪子の名の由来もこの先関わってきます。
諏訪大社は「上社」として「本宮」と「前宮」があって、さらに「下社」として「秋宮」と「春宮」がある四社で構成されている点が特徴のひとつになるわけですが、「大祝」は上社と下社それぞれにいました。他にもいくつか「祝」のつく役職が設けられていて、権禰宜に近い立場として神への奉仕に従事していました。
神長官が上社のみの役職だったことは、少なくとも7世紀にはあったことが確認されている上社に対し、下社は後に(一説には12世紀ごろ)建てられたことが関係していると考えられます。「守矢家」の文書を収蔵した「神長官守矢史料館」に収められ、「洩矢神社」の由緒の根拠ともなっている『諏訪大明神画詞』という史料には、諏訪の地には元々「洩矢神」がいたが、タケミナカタの侵略によって敗北した洩矢神がタケミナカタを祭る神長官となったと記されています。この記述をそのまま信じるなら神長官は大祝でもあったと取ることもできますが、タケミナカタに服属した後の大祝はタケミナカタの現人神と解釈されるようになったのかもしれません。実際、下社の大祝となった「金刺氏」は皇族に仕えた「舎人」出身の家系とされ、大祝については上社より下社の方が格上とみなされていました。
諏訪信仰の中心「モリヤ」
モリヤと聞いて、古代豪族の「物部氏」を思い出した方もいるかもしれません。飛鳥時代に最盛期を迎えた当時の長が物部守屋でした。先代の頃から仏教推進派の「蘇我氏」と対立し、「丁未の乱」で蘇我馬子によって自殺へと追い込まれました。
洩矢を「モレヤ」と読むこともありますが、同じ「モリヤ」とも読めるため、この関係は昔からさまざまな憶測を呼ぶことになります。中にはタケミナカタが物部守屋だとする説もあって、大和朝廷にとって逆賊とされた守屋が諏訪に落ち延びて、名を出すことが憚られるようになったと解釈されています。確かに守屋が活躍した時期は『古事記』成立の百年以上前のことですから、編纂時あるいは後の時代に付け加えられたとしてもおかしくはありません。タケミナカタを守屋とした場合、もともとの神体山だったと考えられる守屋山信仰はどうなるのかとか、国譲りのタケミカヅチは誰になるのかとか、さまざまな伝承と整合性を取っていく必要は出てきますし、この先も仮説の域を脱するのは難しそうですが、面白い説だと思います。