Strange Creators of Outer World/Introduction of Previous Works/Mountain of Faith/Fragment of Phantasy 3

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幻想のもと③ Fragment of Phantasy
どんどん深い謎を追っていく本コラム、
4号目のラストは「ミシャグジ」信仰についてだ。
諏訪を巡るキーワードには興味が尽きない。
ミシャグジ信仰について
諏訪大社のかつての神長官守矢氏の伝承や、かつて信仰されていた洩矢神と侵略者タケミナカタの伝承を追っていくと、「ミシャグジ神」というキーワードについて触れないわけにはいかなくなります。ここでは、謎多きミシャグジ神とその信仰について見ていくことにしましょう。
諏訪全体が燃える「御柱祭」
諏訪といえば諏訪湖と「御柱祭」、中でも山の斜面を人が大勢乗った御柱が下る「木落とし」行事を思い浮かべる方が多いと思います。日本全国を見渡してみても、勇壮さと危険度の高さ、知名度の点に五指に数えられる祭りではないでしょうか。
御柱は諏訪地域の神社のほとんどに見られる独特の風習で、基本的には神社を囲む四隅に神社の大きさ等に合わせた規模の木柱を建てるものです。もちろん諏訪大社の御柱を七年(丸六年毎)に一度建て替える「御柱祭」がもっとも有名ですが、諏訪周辺では小さな祠もそれに見合ったサイズの棒を御柱として囲っています。諏訪大社では、上社の本宮と前宮、下社にあたる秋宮と春宮の四社それぞれ四本ずつ16本の御柱が建て替えられるわけですが、諏訪地方の神社の多くが御柱祭に合わせて御柱の建て替えを行います。
祭の三年前から選定が行われる諏訪大社四社の御柱はそれぞれが一本あたり十トンを超える樅の巨木で、その伐り出しから「山出し」と呼ばれる行事になります。「木落とし」や町中を人力で引く「里曳き」、川幅40メートル近い宮川を渡す「川越し」を経て「建御柱」と呼ばれる段で建てられます。伊勢神宮をはじめ、神社の建物が定期的に建て替えられる「式年遷宮」行事はあちこちで行われますし、用材の伐り出しやそれを運ぶ「御木曳き」行事もそれに伴い行われます。それらと比べて諏訪の御柱祭が際立っているのは、やはり「木落とし」や「川越し」といった荒々しい行事ゆえです。巨木の類は古くから御神体と目されることも多いわけですし、普通は用材であっても真性な存在として大切に運ばれるものですが、諏訪では大勢の裸の男たちが乗るわ山から落とす台車やソリなどに載せることもなく引きずり回し「神事」でありながら、「祭り」としてのダイナミズムが大きく目立つ形となっていることが、諏訪を諏訪たらしめていると言えます。
御柱とミシャグジ神
しかしながら、この風習がいつから始まり、何を目的としていたのかはさまざまな説があってはっきりとはわかりません。古代から続く伝統的な祭とも言われ、「諏訪の神職について(037ページ)」でも触れた『諏訪大明神画詞』に、桓武天皇の晩年の頃に貢税や課役が始まったとする記述があることを根拠のひとつとして、桓武天皇の在位機関が終わる086年以前を諏訪大社や御柱祭の期限とすることが多いようです。『諏訪大明神画詞』自体はだいぶ後代の一三五六年に成立したもので、諏訪の「大祝(おおほうり)」を伝える諏訪家に属し、足利尊氏に仕えた諏訪円忠が著したもので、当初は『諏訪大明神縁起』のタイトルの絵巻物でしたが、現存しているのは文書部分の写しとなる『諏訪大明神画詞』のみ。「国文学研究資料館」の電子資料館を通じて閲覧することも可能です。
その『諏訪大明神画詞』に、諏訪には元々「洩矢神」がいたけれど侵略してきたタケミナカタに敗れ、洩矢神はタケミナカタを祭る諏訪大社の「大祝」守矢氏となった旨の記述があるのは「諏訪大明神タケミナカタについて(039ページ)」でも触れた通り。守矢家では御柱について「ミシャグジ神の依り代」と伝えており、諏訪で古くから信仰されていた「洩矢神」が「ミシャグジ神」と同一と見ることができるようになるわけです。
御柱は通常先端部を「冠落とし」と称して、尖らせるように切ってから建てるものとされていますから、これを蛇の頭に見立てることは自然な連想と思われます。この場合、御柱であるミシャグジ神は諏訪大明神=タケミナカタを守護するために四隅を囲んでいると解釈できます。もっとも、御柱をミシャグジ神とする考え方はあくまでも一説に過ぎず、他にもさまざまな説があって逆に御柱をタケミナカタに見立てて、神社内の諏訪大明神=ミシャグジ神を外に出さないよう封じているといった考え方もあります。そう簡単に結論が出る問題でないことは確かでしょう。
「ミシャグジ」信仰とは何か
「ミシャグジ」という言葉は古いもので、恐らくは原初的な信仰として山もしくは岩などを御神体と見立てていたころから使われていたと思われます。漢字での表記にはさまざまあって、読み方も必ずしも「ミシャグジ」とは限りません。主だったところでは「御社宮司」や「御佐口」、「御石神」とする解釈が多いようです。ただし、『古事記』などを見ると神名に漢字をあてる際に「訓読み(大和言葉)」を前提とすることが多いのですが、「ミシャグジ」の場合は「音読み」です。これを大和言葉が使われる前から使われていた根拠とすることもありますが、ミシャグジの正体を特定できない理由にもなっています。
「御社宮司」の場合、神長官守矢家邸内に「御頭御社宮司総社」が建てられているという点で、「御頭」は諏訪大社で「御柱祭」とともに古くから伝わる、「御贄柱」と呼ばれる木柱や剥製の鹿の頭を供える神事に通じる名称です。古くはミシャグジ神に本物の鹿の頭を75体分用意する儀式だったとも言われていて、ミシャグジ神が生贄を求める恐れられた神で、その信仰が狩猟中心に人々が生活を行っていた頃から続くものとする根拠にもなっています。字義通りに捉えた場合、神社の宮司がミシャグジ神で、現人神「大祝」の考え方や洩矢神が神長官守矢氏になったという伝承に符合します。
「御佐口神社」も実際にあって、ミシャグジ神を祭神とする「佐口神社」として各地にあったりもします。「ミサグチ」とも読めますが、ミシャグジはミシャグチと呼ばれる場合も多く、「シャクチ」を「赤蛇」の意と取る吉野裕子氏の説も有名です。
「御石神」は「ミシャクジン」とも読めますが、御神体を石とする考え方に合致するものでミシャグジ信仰が諏訪に限らず各地にもあって、それぞれが本来的には石を御神体としていたという考え方に通じます。東京の練馬区にある地名「石神井」もミシャグジに通じるもので、石神井神社には井戸から見つかったとされる御神体「石棒」が祭られています。諏訪でも石の棒をミシャグジに見立てることは多いのです。また諏訪には「七石」と呼ばれる巨石も伝えられていますから、それらが実際に「石神」として信仰されていた可能性も十分にあります。
こうしたミシャグジ神に関するさまざまな説は、恐らくどれかひとつが正解ではなく、諏訪のミシャグジ信仰をベースに広まっていったものや、各地に伝わる石神信仰と合体したりした土着信仰も数多く混ざり込んでいるのでしょう。実際に、大和朝廷勢力が日本各地を平定していった歴史の中でタケミナカタのように抵抗し、現在のいわゆる「神道」に組み込まれることを避けようとした結果がミシャグジ信仰だったのかもしれません。
直接的にミシャグジ信仰とは繋がらないのですが、諏訪大明神にはほかにもいろいろと面白い伝承があります。特に江戸期にはお伊勢参りやこんぴらさんなどと並んでお諏訪さまも人気でしたから、面白おかしく話を広げた創作も多いです。例えば江戸期の説話集『神道集』にある諏訪縁起には、甲賀三郎という恐らくは創作上のキャラクターが、地中をさ迷った末に蛇の姿に変じ諏訪大明神になったという話があります。蛇の姿の諏訪大明神は非常に巨大で、いわゆる神無月に全国の神々が出雲大社に集まるけれど、大明神は頭が出雲に到着しても尻尾はまだ諏訪に残っているとか、その巨体ぶりが邪魔だから神無月の集会には呼ばれなくなったという話もあります。
現実の諏訪大社に「蛙狩神事」という、蛙を捕らえて串刺しにする奇妙な行事があって、現代では動物愛護の観点から問題になったりもしましたが、そんな古すぎて意味がわからなくなった奇習が残っていることも諏訪大明神の魅力につながっているのでしょう。研究者のみならず一般人レベルでも想像がかき立てられどんどん新しい伝説が作られ続けることにも繋がったと言えます。上記「蛙狩神事」は大明神が蛇神だという根拠となるとともに、諏訪の大石の下に長大な穴があって『浦島太郎』にも出てくる竜宮と繋がっているという説ができたりもしています。伝説が広がり続け、現代に至ってもさまざまな謎が議論され続けている「お諏訪さま」がどれだけ人々に愛される存在なのか、すべてはそこに行きつくことなのかもしれません。
塩田信之 主にゲームやアニメ関係の文章を執筆することが多い、歴史と神話好きなライター。前号より本コラムの執筆を担当しているが、「メガテン」関連の攻略本やファンブックに長くかかわってきたため、その博識ぶりには折り紙付き。東方の作品がますます神話や伝承に接近しているため、今後も執筆内容が注目される。 Nobuyuki Shiota