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幻想のもと②
Fragment of Phantasy

Fragment of Phantasy

「花映塚」で触れやすいトピックと言えば一番に挙げられるのは「地獄」だろう。
洋の東西を問わず存在するこの概念について、
あくまで東方的文脈で掘り進んでみよう。

「悪いことをすると地獄に落ちる」などの常套句は今ではあまり使われなくなってしまったかもしれませんが、かつては道徳教育の重要ワードでした。ここでは、日本人がイメージする「地獄」がいかに形成されていったのかを仏教の歴史から見ていくことにします。

地獄の誕生

人が死ぬと生前の行いによって裁かれ、善人は「極楽浄土(天国)」へ、罪を犯した者は「地獄」に送られ罪深さに応じた恐ろしい責め苦を受けることになるという考え方は「仏教」のものだと思われがちですが、必ずしもそうとは言いにくいところがあります。そもそも仏教誕生の地であるインドでは、死んだら死後の世界という考え方が一般的ではありませんでした。天界や地下世界の概念は古くからありましたが、天界は神々の住む世界、地下は悪魔(アスラ)、鬼(ヤクシャ)や竜(ナーガ)らの住む世界とされていました。仏教が誕生する前のごく初期のころは、そこに人間が来ることも考えられてはいませんでした。

初期の仏教もそうですが、インドの死生観は基本的には「輪廻転生」を重視していて、人は死ぬと生前の行いによって転生します。必ずしもまた人間に転生できるとは限らず、悪行を行っていれば動物になってしまうかもしれません。逆に善行を積んだり、修行を行うことで神あるいはそれに近い存在となり天界の楽園で暮らすことができるようになります。こうした考え方は、インドで古くから広く信仰されているヒンドゥー教が、その前身であるバラモン教と呼ばれていた頃からあったものですが、チベットに近いインド北部でゴータマ・シッダールタ(釈迦)が仏教を起こした頃には、民衆が本当に天界に行くことができるのか、行けなかった者はどうなるのかといった意識が強くなります。そこで登場するのが、四季映姫・ヤマザナドゥの官職名にもなっている「ヤマ」、いわゆる「閻魔様」です。

最初の人間にして最初の死者

ヤマは後に仏教に取り込まれて「閻魔」となるわけですが、インドでは非常に古くから伝わる存在です。神話的には最初の人間ということになっていて、太陽神の子とされています。双子の妹であるヤミーは恋人でもあり、ふたりの子供から人類が増えていったとされます。最初の人間ということは、神と違って永遠の命を持たず、死ぬ運命にあったということでもあり、ヤマは最初の死者となりました。ヤマが後の人類に遺した最大の功績は、人が死んだときどうなるか、という道筋をつくったことです。神々の世界である天界へ行き、そこで神々とともに暮らすこと。後の天国あるいは浄土と呼ばれる楽園に似た場所です。初めての例とはいえ、そこに行くことができたヤマがそのための資格を持つ者であったことは間違いありません。天国へと至る道はできましたが、到達するためには厳しい条件をクリアしなければなりません。それを達成することが、仏教やヒンドゥー教を信ずる者にとって最大の目的なのです。実のところは、キリスト教やイスラム教だって同じと言えます。

そんな偉業を成し遂げたヤマは、遙か昔に実在した王だったとも言われています。当時はまだインドという国があったわけではなく、隣のペルシアと一体の社会を形成していました。そのためインドとペルシアの古い神話に共通した要素が多いのですが、その後仲違いして分裂し互いの神を「悪魔」と呼ぶようになります。そんな中、ヤマ(古代ペルシアではイマと呼びますが)はどちらにとっても偉大な存在と考えられているわけですから、どれだけ人々に慕われた存在だったのかが窺えます。特にペルシアでは伝説的な「聖王」として、歴代の王の事績を記した叙事詩『王書(シャー・ナーメ)』に四代王として一章を割いて記されています。700年に渡って人々が飢えを知らず死ぬこともない世界を治めたと書かれていますから、実在した王とはいっても神格化された状態です。『王書』は10世紀以降に作られたものですが(そのためここでは中世ペルシア語での呼び方でジャムシード王と書かれています)、同じようにヤマの治世を称えた詩は古代ペルシアで信仰されていたゾロアスター教の聖典『アヴェスター』にもありますし、ヤマが最初の人間と書かれた『リグ・ヴェーダ』に至っては紀元前10世紀ごろには成立していたとされているのですから、まさに神話が現実だった時代の人物であったことは間違いありません。

仏教と「地獄の王」

紀元前5世紀に、インド北部でお釈迦様ことゴータマ・シッダールタが仏教を興します。この頃にはバラモン教が精彩を失っていて、信者たちにも「自分が死んだら本当にヤマの国(天界)に行けるのか」と疑問視されるようになっていました。仏教ではバラモン教や後のヒンドゥー教で崇める神々の存在を否定し、日々精進を続けることによって自信が悟りを得て仏となることを唱えました。釈迦自身は輪廻転生や地獄とそこにいる閻魔についても否定的な立場だったわけですが、仏教の教えを広めていく上で教団としてはそうした旧来の考え方も活用したのでしょう。自身が仏となって涅槃(ニルヴァーナ)に至るという考え方は、従来のインドの死生観「ヤマの天界」にも似たところがあります。ヤマの存在は仏教の教えにも取り込まれ、死者を裁いて天界と地獄に振り分ける役どころを得ることになったものと思われます。そうした仏教の考え方が広まっていくと、バラモン教に代わって徐々に勢力を強めていくことになるヒンドゥー教でもヤマの立場が変化していきました。天界だけでなく死者の国である餓鬼界もヤマの支配地となり、ヤマの存在意義が拡大していきます。天上世界のヤマであると同時に、地下世界のエンマという二重の存在となり、死者を地獄へと引っ立てる死神のような役割を持つようになっていくのも、こうした背景があってのことでしょう。

現在日本で広く受け入れられている「閻魔大王」像が形成されるのは、もうひとつ重大な要素があります。それは中国、日本に直接仏教を伝えた国の存在です。

四季映姫の場合もそうですが、いわゆる「閻魔大王」は中国の官服をベースとした服装をしていることが多くなっています。これは、閻魔だけでなく地獄そのものについても仏教がインドから中国に伝わった上で発展したイメージか、その後日本にも伝わってきたからです。中国に伝わった上で発展したイメージか、その後日本にも伝わってきたからです。中国に仏教が伝わったのはおよそ1世紀ごろ。当時インドでは仏教の主流が大乗仏教へと変わっていく長い変革期が始まった頃で、同時にやがて来るインド仏教の消滅に向かってゆるやかな衰退が始まっていたと考えられます。仏教を迎えた中国では、すでに儒教が深く根付いていた上、老荘思想の宗教的展開として道教が形を成し始めるところでした。中国での仏教の需要は、儒教や道教と相互に影響を及ぼし合う形で進むことになり、地獄と審判者としての閻魔の概念は特に中国らしさが顕著に表れた変化を遂げます。インドのヤマには今でこそ水牛に乗った4本の腕を持つ神像がありますが、1世紀ごろは妹のヤミーと一体となったイメージくらいしかなかったようで、中国でそれ以前からあった冥界神と結びついて現在の閻魔のイメージが作られていきました。閻魔が地獄の審判者たち、いわゆる「十王」に含まれるという考え方も中国発祥で、道教と仏教に共通したものです。中国でじっくりと熟成された仏教とともに閻魔が日本に伝わるのは6世紀のことでした。時に閻魔は地獄に落ちた魂を救済する地蔵菩薩と結び付けられることがありますが、この考え方も中国仏教に始まったものです。四季映姫が元々はお地蔵様だったとする見方は、これに由来するものでしょう。

境界の河の渡し守

四季映姫・ヤマザナドゥの部下である小野塚小町は「死神」です。その職務の第一は、担当する死者の霊魂を冥界へと迎え入れること。生者の世界「此岸(しがん)」と、死者の世界「彼岸(ひがん)」を隔てる「三途の川」[1]の渡し守として、死者の魂を乗せた舟を漕いで渡し、直属の上司である地獄の裁判官に引き渡します。死者の増加に伴う人手不足により、ひとりで裁判を行わなければならない裁判官には、小野塚小町のような死神が複数部下としてつけられています。したがって死神の行う業務には裁判官の助手的な側面もあって、死者の受け付けや裁判の書記等の事務仕事も多いようです。

日本に伝わった仏教の地獄では、そのような仕事を誰に割り当てているのでしょう。例えば死者を迎えに行くいわゆる「死神」としての役どころは、主に鬼の担当です。閻魔自身が迎えにいくこともあるとされますが、それは相手が特別な存在だったりする場合に限られるのかもしれません。裁判の記録は、司命(しみょう)と司録(しろく)と呼ばれるふたりの書記官が行います。三途の川はやはり舟で渡ることになっていて、渡し賃として六文銭を死者に持たせるという風習も古くからありますが、渡し守りについては特に言い伝えがないようですが、渡し賃を持たなかった死者は賽の河原にいる「奪衣婆(だつえば)」に服を渡し賃代わりにはぎ取られることになっています。こうした地獄のシステムの多くは前述の通り中国あるいは日本に伝わって以降に作られたものですが、ヤマに審判者としての性格が付け加えられて以降のインドにも原型を見ることができます。インドの古い火の神であるアグニは、不浄な死者を焼きながらヤマのもとへ連れていく役どころがありました。中国や日本でどんどん血生臭く凄惨な世界と化していった地獄ですが、そんなアグニの役どころから想像を膨らませていった結果だったのではないでしょうか。




  1. The word is usually spelled with " today, while might well be often used of course. In the Touhou world, that location would be written with " only.